李花の湯、子鹿の湯

塩湯荘には、二つの家族風呂があり、通常は男女別、
お客様の御要望に応じて、混浴可能な貸し切り風呂、
と使い分けています。
清潔感が大事という女将の意向で、タイル張りとしたほかは、
特に趣向を凝らしてはおりませんが、
それぞれに、「李花の湯」「子鹿の湯」と名付けました。




<李花の湯>

李花、李の花とは、桃の花のことです。
大鹿原産の「おはつ桃」は、今の食用桃の原種といわれ、
昔も今も、この「おはつ桃」が大鹿の里の春を彩り、
まさに桃源郷そのものです。

南北朝の動乱の時代、悲劇の皇子といわれる、
後醍醐天皇の第五(あるいは第八)皇子、宗良(むねなが)親王は、
東国の南朝方勢力をまとめあげるべく、征東将軍として任ぜられ
この大鹿の地を拠点として各地へ遠征されましたが、
皇子はまた、武人であるだけでなく、
南北朝第一級の歌人であったとも称せられます。
歌人、宗良親王が、三十有余年を過ごされた
大鹿の地での御心情をつづられたのが、
「李花集」という歌集です。

李花集の中に、こんな御詠歌があります。

いずかたも 山のはちかき柴の戸は 月見る空や すくなかるらむ
(李花集 秋)

劣勢の南朝方の勢力を盛り返すため、東国の兵力をまとめ上げなければならない
という使命を背負い、花の都を遠く離れて遠征してきたものの、
父君、後醍醐天皇の期待にはなかなか応えられず、
また御自身は、よりによってこんな空のちっぽけな山奥で、
身を潜めるようにして暮らしていかなければならないのか、
という、無念さ、ふがいなさが込められた、
嘆きの歌です。
李花集のなかには、
こんな嘆き、悲しみの歌が数多く詠まれています。

李花の湯につかり、窓の外を眺めると、
眼前に急峻な山の斜面が迫り、
空はほとんど見えません。
いずかたも・・・の歌が、思わず頭にうかんできます。

親王が、当時、塩泉をお風呂に仕立てて入っておられたかどうか
定かではありませんが、
お湯につかりながら、ひととき、親王と想いを共にしてみて下さい。
皆さん御自身の日々の生活のなかの、疲れ、焦り、不安とか、そういったものが、
親王の想いとともに、少しでも和らいだなら、いいなあ、
と、そんなふうに思います。

親王は、その後・・・、
念願の吉野へ戻られ、準勅撰集「新葉和歌集」を編さんされ、
長慶天皇に奏覧なさるなどしましたが、
最後には、ここが「心のふるさと」となってしまったのでしょうか、
大鹿の地で、その生涯を閉じられたと伝えられています。







<子鹿の湯>

鹿塩温泉の発見の伝説には、
神代の昔、建御名方之命(たけみなかたのみこと)が、この地で狩りをされたおり、
鹿がこの塩泉を好んで飲むのを見て、発見されたと伝えられています。

人がこの塩泉を見いだす前から、
鹿は、この塩泉を飲み、あるいは傷口を浸けて、
癒していたのでしょう。

子鹿の湯舟には、牡鹿と牝鹿、二つの石像があります。
当館の、もっとも古くからの常連のお客様の一人で、
東京で石材店を経営しておられる釣り名人、
広瀬 久蔵さまの御好意で、作っていただいたものです。
塩泉の様子を確かめている母鹿と、
遠くからそれを見守る父鹿。
子鹿になった気分で、心安く
お身体を癒していただきたい、
そんな思いが、込められています。


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