prolouge / b














火炎の色彩というものに、何度見ても心を奪われる。

それは何よりも好きな、太陽の色とは違って。けれど同じほどに輝く、激しいものだと思う。
真っ白いような、ひたすらに深い紅のような、目に痛い金色のような。
自在に変わる色彩。


暗いくらい闇の中で、燃え盛る炎は、まるで何かを暴くようで。
火事なのだと、認識する理性はどこか遠い。

むしろ魅入られるようにそれに近づいていった。
誘蛾灯に引かれる羽虫のようだ。

・・・・・けれど焼き尽くされることを、幸福でないと言い切ることはできないのだから。






たぶんその時は、あまり何も考えずに、ただふらふらとその光景に近づいていったのだった。
あの春の日から、あまり深く物事を考えてはいなかったのかもしれない。
ただ魅入られていたのかもしれない。

離れれば息もできないような、そういう感情ではなかったのだと。
言えばそれまでなのかもしれない。
息が楽になりもしなかったけれど。
それだけのことかもしれないけど。




「―――・・・・・」


ああ、そしてそこに見たものを。





彼のようだと思った。


己のようだと思った。











「・・・・・何してんの」

夢幻の中の如くに、ひどく薄い実感を伴って呟いた。それは火勢に呑まれてもおかしくはない程度の声でしかなくて、ごうごうと風は鳴っていたのに、何故彼女に届いたのかを知らない。
知りたくないような、そういう理由があったのだろうとは思った。


地面に長い黒髪が舞っていた。その髪をとても綺麗だと思った。
あお向けに横たわった姿勢で、目じりが綺麗に切れ上がった漆黒の眼差しが、ただ静かに上を見ていた。


火が、燃えていて。
すぐ、側で。

彼女の少し脇の辺りには木が倒れていた。根元が腐っていたのだろうか、醜い木肌をさらして。
そう大きな木ではなかったけれど、女の力で持ち上げるのは難しいだろうと。

そしてその木と、それから一人の人間が彼女の上に倒れていた。木はその男の下半身を押し潰し、彼女の脚をはさんで、濃い血の匂いが焦げるような匂いに混ざって少し感じ取れる。
庇おうとしたのだろうか、男は彼女を守るようにして、そして同時に彼女を押し潰すような形になって、彼女から逃げ道を減らしてしまっていた。
そういうことはあるんだろう、そんなことを思った。



そうして――――そんな状況下で、血に倒れた一輪の花のような、細く、小さく、無力な姿をした少女はただただ、目を開いているのだった。
その深い闇の色の眼差しは、彼女が食い入るように眺めている火炎を映して深紅のように見える。
ひっきりなしに涙が零れていたから、充血していたのかもしれない。

こうして立っている自分も暑くてたまらなくて、おそらくは土に滲む血には彼女のそれも含まれているのだろうし、けれどそれなのに、たとえば何故、彼女がどこまでも静かな空気を纏っていたのかわからない。
わからないことは世界にはたぶん多すぎて、最近はそういうものなのだと思うようになった。
けれど。


「・・・・なぁ、あんた、死にたいのか?」


ぽつんと問い掛ける。
そしてふ、と少女の血の気の失せた唇が開く。空白の一瞬の後に、



「好き好んで死にたいとは思わないわ」

随分咳き込んだのだろう、掠れた、けれど穏やかな声が落ちた。それはか細い声で、小さくて、けれどはっきりとこの耳に届いた。
誰かに似ているような気もした。誰にも似てはいない気もした。

「なら、なんで逃げるとか、助けを呼ぶとかしないんだ?」

至極常識的な言葉は不思議なぐらい薄っぺらに響く。今この場でなんの意味もないように。
事実意味などはないのだろう。



「・・・・だってここは、」


そして、その、瞳が。
瞬いて。

まるで。
この上もなく美しいものを見るように。

待ち望んだ瞬間ででもあるかのように柔らかに凪いで。



「ここが、煉獄なら、」



たとえば春の海のような。
それなのに照り付ける真夏の陽射しのような激しさを思わせて。




「私はずっと、ここへ、辿り着きたかったんだもの」






燃え盛る、火炎。揺らぐ風。
闇は深くて。少し遠くに見張り小屋のような小さな建物がある以外、そこには木々と闇ばかりで。
物言わぬ男と、穏やかな目をした少女と、無意味に立ち尽くす自分とがそこにあることが、何かひどく遠い夢物語のように思えて。

現実というものはこんなに希薄だっただろうかなんて。
馬鹿なことを思っていた。










「あんたは、それを、願ってるのか」

煉獄が何かは知らないけれど。
その目ならどこかで知っていたかもしれない。

ずっと。
裁かれることを待っていたみたいに。

逃れえぬ瞬間を、恐れて恐れて、それでも―――――望んでいたように。



そんなふうな。
思いを抱いたことならあった。


だから静かに、静かに、問い掛けたのかもしれない。
その思いをわかると思ったから。




「あんたには、今ここで見捨てられる方が、幸せなのか?」




その時、自分は。彼女が頷くことを望んだのだろうか。
それとも否定してほしかったのだろうか。





ゆるやかに細い首が傾げられて。

初めて―――目が合った。





真っ直ぐに見据えてくる瞳は波のない湖面のように静かで、静かで、まるでいつかどこかで見た黒御影石のような硬質な印象を受ける。
冷たい人間なのだろうかと、最初は思った。



「・・・・幸せ?」

噛み砕くような口調で問い返されて。

「幸せなんて・・・・私にはわからないわ」
「・・・・」

笑みもせず。声を荒げることもなく、ただ淡々と。

「どうでも、いいことよ。そんなことは」
「・・・・・あんたは、自分がどうでもいい?」
「そうかもしれないわ」
「そっか・・・・」

火勢はいっこうに弱まらず、言葉を口にする度に喉が熱かった。
悠長な会話を交わしている場合ではないとわかっていたけど、奇妙な現実感のなさは変わらなかった。



「自分を・・・・・どうでもいい人と一緒にいるのは、苦しいよな」
「・・・・」


軽く首を傾げた少女を見下ろして、ひどく静かに微笑した。
静かな気持ちだった。
それでいて揺ぎ無く。



「でもさ――――ごめん」
「・・・・」
「俺・・・・そういうの、駄目なんだ。自分はどうでもよくても、誰かにとってはすごく大事だったりするだろ?だから・・・・そういうの、わかってほしいって思うし・・・・だから」
「・・・・」


はっきりと、少女の目が見開かれたのは次の瞬間だった。




無造作なまでの迷いのなさで、伸ばされた腕が。
作り物の張りぼての如く、容易く倒れた巨木を持ち上げる。

たぶん、その光景に驚いたのではないだろう。何故かそう思った。
自分の取った行動そのものに―――少女は驚いたのだと、そう確信していた。


重い音をたてて地面に巨木が落とされる。血の香りが強くなった。
見開いたままの眼差しで、少女はこちらを見上げている。逃げるでも、受け入れるでもなく。
その様は無防備なようで、決して侵せない決意を秘めているようでもあった。


けれど、譲れないのは自分も同じだから。
この上なく身勝手な理由で。




「ごめん、俺、あんたを助ける」
「・・・・」
「俺の、勝手な理由で、助ける・・・・・あんたが、このまま見捨てられたくても」
「・・・・」
「ごめんな」





告げて、その身体を引き起こした。その脚からは暗い色をした血が流れ出ていて、けれど痛みはもう麻痺しているのか、少女は呻き声もあげなかった。
ただ血の気の失せた顔に、静かな無表情を浮かべてじっと、こちらを見ているだけだった。


もう一人、地に倒れた男を肩にかつぎあげて、彼女の片腕を自分の肩に回させ、その背を支えながら、ゆっくりと歩き出してからも。
山の中の村に辿り着き、治療のために飛んできた医師の真似事をしている老人に彼女の身を預けるまで。
何も言わず、ただ黙って脚を引きずって歩いて。

不思議なものを見るような、童女のように真っ直ぐな目で、ただ、自分を見ていた。



その視線を。
心地良いと・・・・思ったかもしれない。





遠く。遠く。遠く離れて。
君を離れて。
流れる風のように各地を歩いて。
行く先などあるわけもなく、何処へだっていけるほどに己は自由で。
世界は美しくて――――だから。

あまりにも真っ直ぐに、「自分」を―――見た、認識してくれた、その眼差しに、安堵したのかもしれない。




きっとそのことに、決して意味などありはしなかったけど。














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