no title 「2年前だったら、僕は違うことを言ったと思うんですよ」 その声は何故か雑音のように響いた。あるべきではない、小さな、けれど神経にさわるような―――無視できないような。 見やる先にあるのは、綺麗に整った横顔。象牙色の肌の中に完全な比率で配置された顔のパーツの中で、印象的な深い色の双眸が、どこともしれぬ場所を見ていた。 凪いだ湖面のように落ち着いた、それでいてどこか危うさを纏った少年だと。そんなふうに思っていた。 ここにいたはずの男―――誰もが忘れてはいない男が―――かつて、彼をどう見ていたのかなど知るはずもない。 ぐるりと辺りを見回して、男はわざとらしく首を傾げた。そんな様は、かつてここにいた者と似通って見えると、小さく少年は微笑する。 「あー・・・・一応言っとくが、ここには俺しかいないよな?」 「そうですね」 「で、なんでお前さんは俺に言うわけだ?」 「そうですねぇー・・・」 今度は少年の方が首を傾げながら、ロッカーのドアを閉める。 「独り言みたいなものです」 「・・・・あのなぁ」 微笑んだままそんなことを言う少年に、男は嘆息した。ブリッジで意見をまとめるいつもの様とは別人のような顔をすると思う。裁定者のごとくに蒼天を舞うMSのパイロットが、目の前にいる少年なのだとは、今でさえ信じられないことがある。 「聞き流して、ください。それでいいから・・・」 「・・・」 細い指先がパイロットスーツの襟を止めていく。 その手がふと、揺れた。 きつく、襟を掴む指先。 一瞬の、既知感。 ああ、こんな手が、こんなふうに―――何度も。何度も―――。 「―――貴方はムウさんじゃない」 思考を見透かすように落ちた言葉に、一瞬呼吸を忘れる。 「あの場所で、全部を・・・・知ってしまった、あの人じゃない。あの人とは違う」 「・・・・お前」 「貴方はネオ・ロアノークです」 一度目を閉ざして、少年は男を見つめて笑った。とても静かな、全てを許すような笑みだった。 「それで、いいんです」 ―――それはもう直感としかいいようのないもので。 刹那に、男は悟る。 自分はかつて、この少年と何かを共有していた。自分ではないかもしれない、自分が、彼と。それは、きっとひどく重苦しく、逃れがたい暗闇のようなもので、それを共有するということは、支えるとか縋るとか、そういうことに似ていたのかもしれないことで。他の誰とも共有はできないことだったに違いない。どうしようもなく知っていると思う、惹かれていく、あの懐かしい見知らぬ女とさえ、共有できなかったかもしれないこと。 そして今、目の前で彼は笑うのだ。かつて確かに共有していたものを置き去りにしてきたのかもしれない、相手へと向かって。 それでいいと、笑うのだ。無くした全てを包み込むように。 まるで背負うのは自分ひとりで十分なのだと、赦しの言葉を吐くように。 「僕も、マリューさんも、誰も・・・・貴方にムウさんになってほしいわけじゃない。貴方が貴方として、貴方の意思で、ここにいることを決めたんなら、それでいい。誰かになる必要はないんです。・・・・それはたぶん、誰にもできないことだ」 「・・・・」 「わかってるんです・・・」 ―――まるで涙を溜めるみたいに、笑うんだな。 内心の想念は、言葉にはされなかった。口にしたのは、別のことだった。 「だが、『俺』じゃなきゃ、言えないんだろう・・・・?」 それは唇が勝手に紡ぎだした言葉のようで。それでいて息を呑んだ彼が目を見開くのを、最初から知っていたことのように見ている自分がいて。 「それでも、俺がムウ・ラ・フラガじゃなくても、他の誰にも言えないことなんだろう?」 あんなにも沢山の人間に囲まれて、誰からも好かれ、誰からも信頼されていながら。 今は、数日前まで見も知らなかった相手にしか語れないことを抱えて。 彼は、笑う。 あんなにも愛されているのに。 何一つ持たないように。 「忘れてください・・・・」 涙一つ、見せず。 だけど今彼は泣いていると思った。 「聞いてるフリ、してください・・・・それだけで・・・・」 男は静かな目をしていた。それがあんまり懐かしくて、少年は唇を振るわせる。 甘えだとわかっていたけれど。 ここにいる人は、あの日全てを自分と共に突きつけられた彼ではない。彼にとってあの古いコロニーで突きつけられた事実が、憎悪の限りを込めて笑った男の姿が、どれほどの重みだったかなんてこと も、自分にはわからない。 だけど。ああだけど、彼の言う通りに、他の誰にも吐き出せない。 大切すぎるから、何も、負わせたくない。 もしかしたら自分はほっとしているのかもしれなかった。彼かもしれない男が、全ての記憶をなくしていることに。 「2年前・・・・あの場所で・・・・あの人が、全部を暴いた時・・・・あの時なら」 何一つ意味の通じないだろう言葉を、震えのような痺れさえ感じる唇で紡いだ。彼は何も言わず、懇願した通りに黙って聞いていてくれた。そんなふうに優しいところが、似ていると思った。 「あの時、だったら・・・・僕は」 思いながら、目を閉ざす。声は嘲りのように響いたのだろうか、それとも後悔のようだったのか。 「・・・あのデスティニー・プランを・・・・正しいと思ったんでしょう・・・・」 言葉はなく。彼がどんな顔をしたのかもわからない。だがそれでよかった。自分はもう、自分のことだってわかりたくなんてなかったのだ。 これはただの繰言。 愚かしく無様な、繰言。 誰に受け止めてもらう権利もないのに。 「全部、決められたことだと・・・・・生まれる前から、誰にもどうしようもない時から、決まっていて、抗えない・・・・そんな、ことを」 「・・・・」 「・・・・正しいと思うのとは・・・・違うな・・・・・ただ、受け入れたのかもしれない・・・・・そう思ったんです」 「・・・・」 衣擦れの音がした。少年は目を閉ざしたままでいる。己を断罪するように。 「もしもそんな世界があったら・・・・・僕はきっと、そこで、戦うものでしかないでしょうね」 男は白い軍服を脱ぎ捨てる。パイロットスーツの感触は既に掌に馴染んだもので、彼にとってもそうなのだろうかとぼんやりと思った。 「・・・本当にそうなのかもしれないって・・・・仕方ないかもしれないって・・・・」 震える瞼を、少年は開く。それにどれほどの勇気がいるのかなど、誰にもわからない。 「・・・・諦める、ことだ・・・・」 男は前を見据えたまま、ロッカーのドアを閉める。 慣れすぎたパイロットスーツを着て、次に撃つもののことを考える。 戦うために生まれたと。彼をしてそう思わせる理由を知らない。 だけどそう思うほどに、どれだけの絶望を抱えていたとしても―――彼もまた、そうして立ち上がるのだ。 戦場へ、向かうために。 それは、諦めることができないから。 望むから。 遺伝子情報によって全てが決められる世界と、彼が今歩む道は根本的に相容れない。どうしたって、重ならない。彼もそれをわかっている。 わかっていて――――それでも。 諦めることの方を、望みたくなることもあるのだろう・・・・・・。 (たとえば贖罪の、ように) 胸に浮かんだ想念の理由を知らない。 ただ柔らかい声を聴いていた。それが彼の、望みだったから。 その望みを、せめて、叶えてやりたいと思ったから。 「不思議なんです・・・・・じゃあ、それでもまだ、僕は諦めていないってことだから」 「もしかしたら・・・・デュランダル議長という人も・・・・・諦めたくて、でもそれが、できなかった人なのかもしれませんね」 細い指が、己のパイロットスーツの襟もとに食い込む。 何かを忘れるような、埋めるような沈黙の後――――少年は、静かに目をあげた。 「・・・・それだけ、です」 ひどく透明な、何色にも染まるようで、全ての色を拒絶するような、そんな笑みを浮かべて、少年は 男を見つめた。 「行きましょう」 そしてその背中が向けられる。 戦場へ向かう、戦士でしかないその背中に。 かつて知っていたかもしれない、孤独の面影を、男は見た。 たった一人――――そうしてどこへ向かうというのか。 思わず問いかけたくなるような、そんな背中だった。 |
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ガンダム種運命。全てを知っていたムウさんが、何も知らないネオ・ロアノークになったことは、キラにとってどういうことだったのかな、と考えました。 ある意味、彼とキラは同胞に近かったと言えるから。 ネオさんは最後ムウさんに戻ったけど・・・私的には戻らなくたってよかったんじゃないか・・・とか、少し思っていました。 何が言いたいのかよくわからないまま終わる・・・。 |