子羊たちの詩 ―――ミサ曲に基づく短編集





     Sanctus, sanctus, sanctus, dominus deus sabaoth.
     聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主よ。



     Gloria in excelsis Deo. Et in terra pax hominibus bonae voluntatis.
     おお、天には神に栄光を、地には善意の人々に平安を




     番外 ・ 昇階唱 (Graduale) ※アレンが師匠を刺してます。
































Sanctus 







「マリアは泣いているのですか?」


おそらくは100人が見れば70人は目を逸らすだろう、残りの30人の中の20人弱は唇を引き結んで真っ直ぐに見るかもしれない。さらに残りの10人程度の中で、反応を返さない者がいるかもしれない。ちなみに彼らは人間でありながら人間を超えたと自負する輩どもなので、くだらない人間と人くくりにするなとはき捨てるかもしれない。
そして最後の1人として残るのが、きっと、真っ白い子どもだ。

淡々と淡々と屍を見上げて、ごく自然な口調で問うた子どもだ。


いつでもごく普通の反応ができない奴だ、と、男は思う。たぶん、哀れみに近く。

怒ることも泣くことも笑うことも、どこか他の人間とはずれている。

そういう人間だった。



かわいそうな奴ではある、と、思うのだ。


奇怪な左腕を持っていたというだけで一番最初の他人に捨てられて。

拾い上げてくれた人間は最後に彼の一生を縛る呪いを残していった。

神様は烙印だけを押し付けて彼を救いなどせず。

魂を売ってでも叶えたかった願いは悪魔によって掬い取られ、神様によって砕かれた。

残ったのは償うには深すぎる罪ばかり。



泣いて、怒って、呪って、当たり前だと思うのだ。

憎んで、厭って、全てを捨てたっておかしくはない、と。




それなのにこの愚かな少年は、両の足で地を踏みしめて立ち、今もなお、当たり前のように顔を上げているのだ。

神様の烙印と悪魔との契約の印を頼りに。





そしてとうの昔に死んだ女の屍を見上げている。真っ直ぐに、どこか眩しいように、哀しいように、ほんの少し目を細めて。

そして聞く。



聖母は泣いていたのか、と。






彼の言うマリアが何を示すか男は知ろうとは思わない。

ただ事実だけを返した。





「死体が泣くわけねぇだろう」




白い、少年は黙ってその言葉を受け止めた。

死してなおつなぎとめられて力を振るう女の姿は、呪われたその目に、どんなふうに映っただろう。



たとえば彼が地獄に落とした、そして同時に彼を地獄に引きずり落とした、かつて人間であった機械の様のごとく?

たとえば十月十日彼を育ぐみ、世界に生み出して放り捨てた、顔も知らぬ母親のように?


知るはずが、ない。




男にとって女は純粋に力であった。必要な、力であった。
女が男を愛していたということは、なんの関わりもなかった。禁術の発動のためには、狂気にも似た執着の力は、あるにこしたことはなかったけれど。




人の、機械の、頭の中を歪めていく聖なる唄声をじっと聞きながら。




少年はただひたむきに屍を見詰めていた。







まるで、たとえば、愛そうとするかのように。







誰をとも、何をとも、男は聞かなかった。少年も語らなかった。








マリアが歌う。



それは何故か、今だけは、子守唄のように聞こえた。




きっと真っ白い子どもの耳には、甘く優しい、呪いの調べとして、響くのだろう。

銃を構えながら、男はそう、思ったのだ。









【後書き】
 普通にアクマと闘いながらのワンシーンだったりします。
 寄生型エクソシストの屍を禁術によって所持しているのだそうですね、師匠。
 それを初めて見た時、アレンはどう感じたのだろうかと思いました。普通に倫理的にどうとかじゃあなくて。
 死者を呼び戻してでも一緒にいたかったアレンにとって。母親には捨てられたアレンにとって。それはどう見えたのだろう。
 マリアにどの程度生前の意志が残っているのかによって違うのでしょうけど。




























Gloria







うわあああああん

うわあああああん





慣れた紫煙の香り。慣れた人の体温。
慣れた、緩やかな空気が疲れ果てた身を慰撫するように取り巻き始めているのがわかった。
卵が元に戻っていく。方舟が再構築されていく。
ワケなどわからなくても、本能が知っていた。
戦うものの本能が。

戦場はもう、終わったのだ、と。


再構築された床に両足を投げ出し、紫煙を緩くたなびかせながら。
男は何を説明する気も、案じる気もなかったのだろう。
ただ煙草を味わい。

たった一つ呟いた。

「泣くのはわかるが、何故喜びの涙じゃないのか解せないな」






うわあああああん

うわあああああん




この世で一番最初の寿ぎ歌のごとく。
子どもの涙のように。

大声をあげて泣けたらよかった。


なのに本当にできるのは、小さく体を丸めるように蹲って。
耐え難い嗚咽を漏らすだけ。


「お願い・・・・ッ」

熱い眦を零れ落ちていく滴の行く先も考えず、ただ、呻いていた。

「これ以上、何も、アレン君に背負わせないで・・・・ッ」


ただ、ただ、泣きながら願った。
あの細い背中が、これ以上の重みにぱきりと壊れる幻像を、どうか見せないでと。


神様はきっと、欠片すら、聞いていやしないだろうと、思った。









【後書き】
 133夜ネタ小話。方舟の卵が元に戻っていく過程であったかもしれない一幕。
 私がアレンが方舟の奏者だと知った時に思ったことを、リナリーに代弁していただきました。
 呪い持ちで、イノセンスつきで、しかも奏者だなんて・・・・それでも潰れてしまはないだろう彼が心配です。





























Graduale



Requiem aternam dona eis Domine et lux perpetua luceat eis.
In memoria aterna erit justus: ab auditione mala non timebit.
主よ、永遠の安息を彼らに与え、絶えざる光でお照らしください。
正しい人は永遠に記憶され、悪い知らせにも恐れはしないでしょう。(詩編112:6-7)





僕があなたを好きだったのは、他のどんな愛もいらないという気にさせてくれるからだった。


「ごめんなさい」

声はあまりにも幼く、そうであるが故に澄んだ響きを持ちながら、深い暗闇の底を覗くような気持ちにさせる。

鋭利な爪が貫いた傷口から、吹き上がる鮮血の向こうに、幼子の顔がある。

かみさまを持っている目だ。

「あなたのことは、好きでした。僕に理由をくれた人だから」

落ちる囁きは静かで。
血飛沫のたてる音は外の雨にかき消される。

血を流しながら、男は笑う。

わかっていたと、そう言う代わりに。


「でもマナは僕のすべてなんだ」


幼い、幼い、幼い、子どもが言う。

たった一人の人だけを信じて、愛して、他に世界が見えない、子どもが言う。


「だからあなたを殺します。あなたは僕に、マナを疑わせた」

大量の血が、徐々に勢いをなくしていく。
暖かい、身体はやがて冷えて動きを止めるだろう。

知りながら、子どもは、本当に。
当たり前のことをしている、顔で。


「マナがくれたものを否定する人は、要らない」


なんにもいらない。


それはあまりにも子どものものでしかない言葉で。

どんな言葉も愛も追いつかない。

遠く駆ける流れ星のようだ。
焼ききれて落ちていくことさえ厭わない。

唯一を抱きしめて、真っ赤に燃えて消えていく。


星のように真っ直ぐな。


「・・・・ごめんなさい、ししょう」


小さな囁きだけが、子どもが男に返せるものだった。
他には何もない。

かみさまの力も、アクマの呪いも、本当は要らない。

あなただけ。

あなただけいればいい。

あなただけ愛していければ、それだけで、いい。

それ以上を受け止める余地は、自分には、ないから。



ずるりと崩れ落ちる温かい肉体を、鋭利な爪が抉って抜き取られる。

滴り落ちる血の色は、アクマの血の色と変わらず。
ノアの血の色と変わらず。

人のもので。


だけど殺せる。彼でさえ殺せる。
誰に疑われたってかまわない。
裏切り者と呼ばれてもいい。断じられても、もう、かまわない。




あいしている。


たったひとりの、ぼくの、かみさま。


利用されていてもいい。犠牲でも生贄でも。
何だってかまわない。

そのために出会えたというのなら、かみさまの呪いにもアクマの呪いにも感謝を捧げよう。

14番目なんか知らない。

僕が、そう思うだけ。


(あなたをあいしている)


それ以外、自分にはやっぱり、なんにもなかったのだと。
いまさらなにも、怖くなんてない。




あなたに関係ないことは、本当に何もかも、なくしてもいいものだった。
あなたを悪く言うすべての人を何千回も殺しながら眠りに落ちて、
あなただけを正しいと思ってきた。


(僕は、あなたに、いつでも、そばにいてほしかった。)




祈りのように。

暖かな肉を切り裂いた爪を目の前に掲げて、そうっと、右手と組み合わせる。
尖った爪は自らの皮膚をも裂いて血を流したけれど。
混ざり合ってく紅さえどうだってよかった。

あなたのためなら自分などいらないのだ。

何度目か、子どもは知った。

それを幸福と呼ぶのだと、やっぱり、思って、ひっそりと笑った。

頬を濡らした鮮血に、一粒の水が混ざって、気づかれることもなく消えた。





words from "ONLY PLACE WE CAN CRY" 銀色夏生



【後書き】
 ありえないとわかっていますが、書いてみたかった・・・。
 「Graduale」は、レクイエム(鎮魂のためのミサ曲)の中の唄の一つで、「昇階唱」というそうです。
 アレンが本当にマナに(あるいは誰でもいいからたった一人の人に)愛されたという実感や、あるいは自信と呼べるものを持っているのなら、揺らがなかったんじゃないかと思うのです。
 揺らぐのは、どこかで信じきれていないから。愛しい記憶を真実と言い切れないから。だから、悪い知らせに慄くのではないかな〜と・・・・この邦訳を見た時に、ふと思いました。











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