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プレリュード4
Prelude4

 

 

パントマイムのレッスンが終わったあと、美郷と、レッスン・スタジオのある渋谷の近所のレストランで食事をした。

決して贅沢な高級料理ではないからと言うと、美郷は応じてくれた。気軽に付き合ってくれたことが嬉しかった。

そのあとカフェ・バーへ移動する時、後ろに黒い影をふと目にしたような気がした。

「誰かにつけられてるんじゃないか」

「まさか」

「君の熱狂的なファンとか」

「女の人?」

「いや…」

美郷は後ろを降りかえってみる。

「ありえない…、思い違いでしょう」

そうかもしれないと、それ以上気に留めなかった。

酒の飲めない美郷にソフトドリンクを与え、そこでまたバレエ談義になった。

美郷は踊ることが真に好きで、それしか頭にないように見えた。

靖彦はそれ以上に美郷のパントマイムの所作が好きだと言った。

「先生は、はじめテクニックだけを教えてくれるんです。幾つかパターンがあって…」

美郷はそこで靖彦の前で即興でさっと実演を始めた。

窓を開けて外を見るようす、相手を拒絶するしぐさ、それを後悔し、心の中に沈殿させてゆくようす…

目の前で演じられたそれらの所作に、靖彦は衝撃を受けた。

椅子に座った上半身だけの体勢で、少ない動きから一瞬のうちに注意を引きつけてしまう力、心の奥の細かい襞までを表現してしまう力…、

美郷はすぐに素に戻り、

「最初は、例の綱を引っ張る動作とかも習うんですよ」

と楽しそうに言う。

そして、透明の壁にぶつかって出口を探す、パントマイムの基本動作も見せてくれた。

手の動きだけだのに、そこに分厚い壁が出来ていた。

「本当に天才だなあ…。是非東京でも公演して下さい。応援してますから」

「こんなの出来る人は大勢いますよ」

「美郷さんのは他の人とは全然違う。うまくは言えないけど。…そうだ、俺はブログで宣伝しますよ、サクルムの公演のこと」

「ブログ持っていらっしゃるんですか」

「うん。それから総合サイト、運営してますからそこのトップページでも宣伝します。メールマガジンでも。公演がある時はぜひ教えて下さい。…宣伝のこと、メンバーの人と相談しておいて下さい」

まだマイナーな彼らのバレエ団の役に立ちたいと思い、その一心で自分に出来ることはしたいと思い、提案したのだ。

 

美郷は私鉄のK線でK市へ帰った。

目の前で見た美郷のパントマイムの動き。

プライベートな場で、自分の前で演じてくれるとは思っていなかったから、奇跡の瞬間に立ち会ったような嬉しさがこみ上げた。

青年になりかけの少年の、その彼が一瞬にして日常を超えた存在になってしまう驚き。

急速に美郷と親しくなれたことが、まだ信じられない思いだった。

目の前で美郷が演じてくれたことで、二人に特別な関係が生まれたような気がした。

靖彦一人のために演じてくれたということは、美郷が靖彦に好意を持ってくれているということだろう。

もしかして美郷は、靖彦に特別な感情を抱いているのではないだろうか。そう考えて、靖彦は複雑な気持ちになった。

急に美郷に接近しすぎたのではないだろうか。

靖彦は美郷の男の部分に興味を持ったのではないのだ。

けれど、はたから見れば男の美郷を追いかけ回すことは、奇異に写るのではないだろうか。

何も知らなかったダンスの世界を初めて知って、その驚きで、勢いにまかせてあまりにも性急にバレエ団員そのものに近づきすぎたのではないだろうか。

団員個人には何の興味もないはずだったのに。

そう考えると自分の行為がとても破廉恥で恥知らずなことに思えて来て、靖彦は身悶えするような後悔に浸った。

 

 

「ミサ曲ロ短調」。

バッハの曲で美郷と石沢が踊っていた。

彼らのバレエ団はバレエで普通に使う音楽を採用していなかった。

クラシック・バレエを基本にしてはいるが、クラシック・バレエをそのまま踊るのではないから、そのため選曲も常識的ではなかった。

だがバッハは二人の踊りに合っていた。

"Qui sedes ad dextram patris"

その二人のダンスはこれまでの踊りにはなかった雰囲気をかもし出しているような気が、ふとした。

気のせいだったのだろうか。気がしただけなのだろうか。

美郷が石沢に近寄り、そして二人がユニゾンから石沢が美郷の体を支え回転させるあたり、やがて二人はぴったりと寄り添い、触れ合い、そして交互にターンし…、その二人の呼吸に、呼吸の合わせ具合に見てはならないものを見たような気が、一瞬したのだ。

灰色の雲が徐々に広がってゆくように、靖彦の心を浸食する考えがある。

それでも彼らの公演を見続けた。

月に一度くらいの出番だったステージは月に二度ほどに増え、ファンが順調に増えているようだった。美郷と石沢のデュエットは、出し物の中でも特に人気があった。

初めに見た時には、それを気づかなかっただけかもしれない。

他の部分に気を取られ、目が眩んでいたのか。それとも本当は気づいていたのに、気がつかないふりをしていたのか。

靖彦は、彼らに何を見て何を求めていたのか。

一度その疑いが頭をもたげたら、どんどんそれが広がってゆく。恐ろしいような、逃れられないような気持ちに囚われていった。

 

ヴェル・サクルムのK市の文芸ホールでの公演が決まった。

1200人ほど収容できる、K市でも大きなホールでの公演だった。

団員はチケットを売りさばくのに必死だと言ったが、靖彦は満員になることを疑わなかった。

今の上り坂の彼らならば評判が評判を呼んで、ソールドアウトも夢ではないはずだ。

靖彦は自分のブログやメールマガジンや運営サイトのトップページで宣伝をした。

K市は私鉄のK線を使えば東京からでもすぐ行ける。東京からの集客が見込めれば、簡単に満杯になるはずだと考えた。

わだかまりは、あった。この入れ込みように、自分でも危ういものを感じているからだ。
それだけではなく、もっと危ういものを自分の中に感じていた。

だがそれをはっきりと理屈づける前に、彼らの成功を見てみたいという思いもあり、美郷が喝采を浴びている姿を見たいとも思い、終いにその思いの方が上回って行って、それ以上の詮索はもうやめてしまうのだった。

 

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