プレリュード 2
Prelude 2
07/7/11
出待ちをしている女性たちのようにプレゼントも何も持っていないことに少し気が引けたが、思いきってパブのドアを開けた。
止まり木にごく普通の目立たない普段着に着替えたバレエ団のメンバーが座っているのがすぐに見え、靖彦は急にどぎまぎする自分に驚く。
扉が開いたことに気がついたパブの給仕が入り口の靖彦を見るのと同時に、バレエ団のメンバーも同じように靖彦に顔を向けた。
靖彦は慌てて、手前にいるバレエ団のリーダーらしき男に、挨拶だけして店を出ようとした。
「突然すみません、貴方がたの舞台をいつも拝見させていただいています。とても素晴らしくて、…それだけ伝えたくて…」
そそくさと出て行こうとすると、そのリーダーらしき男が靖彦をふりかえり、
「いつも前の席で見てくれている人ですね。ありがとう、とても嬉しいです」
と言う。
「えっ、見ているの、ご存知なんですか」
「ははは、ステージから良く見えてるよ。あそこの舞台、席にすごく近いから」
ざっくばらんに返事した。
「こっちでゆっくり話そうよ。俺たちにもファンがいるんだ。嬉しいじゃない」
リーダーはそう言ってソファの椅子席を示し、自分から移動し、靖彦にも席を勧めた。
他のメンバーも椅子席に移動して来る。
思いがけない展開に、靖彦も腹を決め、椅子に座ることにした。
リーダーの男は、美郷と「亡き王女のためのパヴァーヌ」を踊る男だった。
メンバーの中に、美郷もいた。
靖彦は急に胸がどきどきするのを覚えた。
「君はあれだろう、美郷のファンなんだよね」
「えっ」
図星を指されて、さらにどぎまぎする。
「ステージから全部見えるんだよ。美郷が踊り始めると口がぱかっと開いて、見惚れてるんだもん」
全員が笑う。靖彦は脂汗をかく。
美郷も照れて恥ずかしそうにしている。
舞台で踊っている時とはまったく違う。まるでおぼこくて素人くさく、幼い感じがした。まだ学生のようにも見える。
「これまで踊りなんて全然興味がなかったんですが…」
汗をかきながら必死に説明を試みる。
パブに来ているバレエ団のメンバーは4人だった。
メンバー全体もそう多くはない。4人で踊るカルテット、二人のデュエット、ソロ。普段ステージに出るのは4人。カルテットでは美郷とリーダーも踊る。
ライブハウスで踊るにはそれくらいの人数でじゅうぶんだった。「俺たちのファンって言って来る人、そういうの多いね。初めて見たとか。バレエを」
もう一人のメンバーが言う。
「ライブハウスでやってるから、ライブのつもりで見に来て、嵌ったとかね」
「なんかビジュアル系のネーミングだもんな」
皆が笑う。
「もう追っかけもいますね」
靖彦が言う。
「あれはファンじゃないんだ。単なる追っかけなんだよ。男ならどんなんでも良いっていう」
リーダーが迷惑そうに話す。
「目新しい男がいれば即追っかけるんだ。特別バレエやパフォーマンスに興味があるわけじゃない。暇つぶしだよ、女の。正直なんだけどね」
「正直過ぎるんだ」
「東京に出れば、もっと人気が出ると思うんですけど」
靖彦が言った。
靖彦はこのことを前から思っていた。東京ならば発表の場がもっとたくさんあるし、彼らの実力とルックスからすれば、人気が出るのは間違いないと思っていたのだ。
リーダーは複雑な表情を浮かべた。
「それはまだ時期尚早っていうかな。K市でもまだこんな小さい小屋でしか出来ないから、もう少し頑張らないとね」
「そうなんですか」
「美郷はなんにも喋らないね。ファンの人だよ」
美郷は照れている。
顔が小さく、肩が華奢で、近くで見ると少女のようにも見えるが、むしろ無防備な普通の少年だった。
ステージだとあれほど感情が豊かで、指先の一本一本にいたるまで細やかに表情が溢れているのに、何という違いだろう。ステージの美郷には、特別の魔法でもかかっているのだろうか。
「美郷は普段は結構大人しいから」
「…」
はっきりしない美郷の代わりとばかりに別の仲間が間に入った。
「ダンスになると別人だけど」
「ダンスの時に自己表現の全てをしきってしまうんだよね」
「その、美郷さんを見た時、驚いて…」
靖彦は切り出した。
「自分でも良く分からないんですが、何か引きつけられるものがあって、なんだか感動して…」
「ありがとうございます」
美郷がはじめて口を切る。
勇気を得て、靖彦は思い切って話し出す。
「バレエを踊っているというより、表現したいものがあるからたまたま踊っているというか、そんな感じがしたり…。とにかくバレエに対する固定観念が取れたというか」
「そういうふうに言ってもらうと嬉しいなあ」
リーダーが言った。
ライブハウスで貰ったチラシにはリーダーの名前が石沢と書いてある。
「俺たちの中で、美郷が一番背が低い。他は大体同じ背丈。それでかえって目立つ」
「すみません」
美郷が謝る。
「美郷はアイドルだからいいの。批難してる訳じゃないし」
「はい。…でも、アイドル…ですか」
「美郷から入るっていうのが多いから、実際。ウチは。彼は抵抗なく入れるんだと思う」
「そうだよな。それでいいと思うよ」
話がだんだんバレエ団のステージ論にシフトしてゆく。
「ぱっと目を惹くような、華があるのがまず一番さ、何よりも。最初の一撃というか。そういうのが必要だ」
「ウチらはダンスのビジュアル系だからね。テクニックより」
「ははははは」
誰かが言って、皆が笑う。
「それからアンサンブル。でも皆が同じ動きをしていても、それぞれ個性的というような個性」
「それはむつかしい」
「でもユニゾンは楽しいな。軍隊みたいな動きになるとこ」
「笑いも欲しいね、今後」
「それは課題だなあ」
「美郷は努力しているな」
「それにしても嬉しいな。男性がファンていうのが」
石沢が話を靖彦に戻してくれる。
「バレエって女性のファンが殆どだから。それも嬉しいんだけど、女性っていうのは、感情的すぎるし、」
「誰々さんすてきーっ、て?」
隣りの男が口を挟む。
「そうそう、男性って、わりと冷静にこれこれこうだからここが素晴らしい、って論理立ててくれる。それがありがたいね」
「ああ、楽しかったなあ。どうもありがとう、池内さん」
帰り際、石沢がご機嫌で靖彦に声をかけた。
「すっかり話し込んじゃって、なんか俺たちの議論に付き合わせてしまったみたいで、すいません」
「とんでもないです。こちらこそ、サクルムのメンバーに会えて感激してます」
「特に美郷に、だね」
少し酔った靖彦の頭に、今の石沢の冗談がぐるぐると回る。しらふでいたらもっと決まりが悪いだろう。
「からかわないで下さい」
「いや、美郷とあまり話が出来なくてすみません。今度もっとじっくり話してやって下さい。最初だけなんで。人見知りは」
石沢はリーダーらしく、靖彦にも美郷にも気を配っている。靖彦は心の中で感謝した。
メンバーの後ろを歩いてくる美郷を見る。
酒を一滴も飲めないらしく、店ではソフトドリンクだけを口にしていた。
もう一人のメンバーと何やら話しながら歩いている、その歩く姿勢の良い美郷を見て、靖彦は改めて見惚れた。
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