Story

プレリュード 1
Prelude 1(1/7)

07/7/1

 

靖彦が瓜生美郷というバレエダンサーのことを知ったのは、ガールフレンドに連れて行かれた小さなライブハウスでだった。

ライブハウスでバレエを踊るのが珍しいと思い、何となく見に行こうかと思ったのだ。

ガールフレンドはそのバレエ団の美郷というダンサーのファンだと言い、彼らのチームの踊りがそのライブハウスである時には足繁く通っていたらしい。

彼女は東京に隣接するK県K市の在住で、東京に働きに来ていた。靖彦とは東京で知り合った。

ライブハウスはK市にある。

彼女に連れられて見に行き、バレエを見たあと、ライブハウスのチラシを貰い、次に彼らのバレエが上演される日程を知り、次のステージには一人で出かけた。

興味を持つどころではなかった。夢中になった。

男4人から6人くらいで構成された男だけの小さなバレエ団で、クラシック・バレエを基礎にしてモダンな、独特の振り付けで踊る集団だった。

それまでバレエについて何も知らず、興味もなかった靖彦は、なぜ自分があの時あれほど魅せられたのか、自分でも良く分からない。

不思議な踊りだった。

ソロで踊る時のダンサーは、バレエを踊りながら途中でパントマイムのような振りになり、いつの間にか演劇を見ているように思えて来る。

彼が手を差し伸べるだけでそこにある世界が出現し、上を向くだけで何もないその空間に鳩や虹や太陽がはっきりと出現するのだ。

それを踊っていたのが美郷だった。

不思議さにまず魅せられ、それが何故なのか、なぜああも具体的に踊り手のヴィジョンが見ている者にはっきりと伝わるのか、それが知りたくてのめり込んだ。

 

その時までバレエには興味がないというだけでなく、男性のバレリーナという存在に対しては、何となく胡散臭い思いがあった。それはおそらく誰もが感じる思いだろう。

何となく先入観があり、それは女性の見るもの、という気持ちもあった。

だが、ガールフレンドにすごく良いの、先入観は捨てて、と誘われた時に、そうなのかなと思い、実際に見てみると、確かに先入観はくずれ、特に美郷の踊りには感動すらしたのだ。

いやらしさを感じさせず、男や女、といった肉体を感じさせない。

もっと抽象的な何か。

 

考えても分からない。分からないからもっと知りたくなる。

美郷の踊りだったのか、彼の個性だったのか、自分でも、何がどうなのか良く分からなかった。

気がつけば踊る美郷を夢中になって目が追っている。

その踊り、しぐさ、いじらしいような、誘惑的な、悲しいような、訴えるような、ただのバレエではなく、パントマイムを交えた繊細な動き。

心が捉えられ呪縛された。

「亡き王女のためのパヴァーヌ」。

もうひとりの相手と二人の男で踊る、彼らのオリジナルのデュエット演目である。

マルガリータ王女の肖像の前で演じられる、象徴的な追悼のドラマ。やがてそれが破れた恋の悲嘆に変わってゆき…。

 

踊りにはまったく素人で、バレエなどそれまで見たこともない。芸術などとは到底無縁の、不粋な輩だと自分で思い込んでいた。

彼女も同じようにして、同じ経緯で美郷に惹かれたのだろうか。だから彼のファンになり、足繁く彼らのステージを見に行くようになったのだろうか。

しばらくして彼女とは別れた。

だが、ライブハウス通いは続いた。

彼女がライブハウスに来ているのを見ることはなかった。靖彦と別れた時から、彼女の趣味が変わったのかもしれない。

 

 

彼らのダンス・カンパニー"ヴェル・サクルム"はそのライブハウスが公演の拠点らしかった。

なぜバレエ団がライブハウスに出演するようになったのか、その経緯は靖彦の知る所ではなかった。

時々は大きなホールで公演をしていたらしいが、まだまだホール公演を常時行うほど有名ではない、地方の小さいバレエ団に過ぎなかったようだ。

バレエ自体が、大都会ではない普通の地方の町で受け入れられる娯楽ではなかったこともあるだろう。

そのライブハウスでも常にステージがあるわけではなかった。やはりバレエはライブハウスで行うメインの演目ではない。

ただ、靖彦のガールフレンドのように、熱狂的なファンが徐々につき始めていた。まるで、ロックバンドのように追っかけファンもついていたようだ。だからライブハウスでも時々は彼らのステージを上演出来たのだろう。

 

バレエには素人だから、彼らの実力がどのくらいなのかは良く分からない。だが、まったく素人の靖彦が魅了されるくらいなのだから力があることは確かだろう。

彼らが、その割りにはまったく無名で知られていないことが、不思議に思われた。

知名度は、実力だけでは計れないのだろう。けれどもそれにしても、と靖彦は思う。

もっと認められてもいいのではないか。

客数の少ないライブハウスでの公演くらいしか発表の場がないのは不遇であり、気の毒にも思った。

 

何度か「プラーター」―そのライブハウスの名前―に通うようになると、店のボーイが靖彦の顔を覚えたようで、挨拶をされる。

客は、大入りだった。彼らの固定ファンがいた。

その中でも靖彦は一人だったが前の良い席に座れた。ボーイが顔を覚えて、都合してくれたのである。

靖彦の目的は例の「亡き王女のためのパヴァーヌ」、デュエットで踊る時の、美郷の切なく、相手を求めるような、拒絶するような、物思わしげな誘惑の目。そして、美郷のソロ…、タイツと練習着のようなランニングの上衣のみのシンプルな恰好で踊る、ほんの三分ほどの「オンブラ・マイ・フ」。

それを見たいがためだけに、東京からK市まで足を運ぶのだ。

 

そして、いつものように期待を裏切られることなく彼らのバレエに見惚れ、しばらく席に座ったまま、興奮の余韻に耽った。

出待ちなどはしたことがない。

靖彦にとって、現実のバレエダンサーは、興味の対象外だった。

彼は、踊り手がステージ上で繰り広げる世界だけを賛美していた。現実の美郷や他の踊り手がどんな人間で、実際の生活がどうかなど、彼らの動向を気にしたことはなかった。

だから彼らと現実に知り合い、喋る機会があると思ったことはなかった。

件のボーイが、「プラーター」の隣りのパブに今、バレエ団の連中がいる、と教えてくれた。

ボーイは、今行けば彼らと喋れると言わんばかりに靖彦にそう言う。

おそらくボーイは、彼らの公演ごとに律儀に見に来る靖彦をコアなファンだと思い、気をきかせたのだろう。

出待ちをしている女性たちがいたらしいが、それを避けて隣りの店へ避難したという。

 

急に彼らに近づくチャンスが出来て、靖彦の心は俄かにざわめいた。

現実の彼らに興味はない、とは言っても自分の傾倒くらいは本人たちに伝えたい、という思いは常にあった。

彼らがまだマイナーな、地方の小さな不遇なバレエ団で、有名でもなく、おそらく経済的にも豊かでなく、活動を続けることに苦労もあるだろう、と思うと、会ってひとこと励ましたい、という気持ちがなくもなかった。

そう思うと靖彦はにわかに席を立ち、ボーイに会釈すると隣りのパブ「トリエステ」へ向った。

つづく

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