Story

三十三間の闇

3 (3/4)

「君がそうしたいのなら」

あっさりと、立花はそう答えた。

躊躇いのない返事だった。

「い、いいんですか」

「君はそうしたいんだろう?」

床の間の、冬の掛け軸を見ながら、岬は心の奥の、自分の修羅を覗いた。

「…これまでに、抱かれたことはあるんですか」

「ないよ」

「…それなのに?…」

「君の望んでいることを、してあげたい。それが私の望みだ」

「…」

「君はきっと、抱かれているだけでは物足りないんだろう。私は一方的に、君から自分の楽しみだけを求めようとは思っていない。私に出来ることなら、君の望むどんなことでもしたいと思っているよ。だから、喜んで君に抱かれるよ」

立花は、そう言って岬に唇を求めて来た。

岬は夢中で立花の唇を貪った。

立花を抱き締めて、上下を入れ替える。

男二人の荷重で布団が捩れた。

嗜虐的な欲望が目覚めて、今しがた放出したばかりのところが再び硬く兆した。

荒々しく立花を組み敷き、自分が彼の肌に愛撫を加えてゆく。

理性はどこかへ吹き飛んでいた。獣のように自分の欲情に身を任せ、体の欲するままに立花を求めた。

立花は無言だった。

立花は、これほどまでに荒く激しい岬の欲望を、まるで喜んでいるようにも、そして恐れているようにも見えた。

岬が立花の体を後ろに返した時も、彼は無言だった。

岬の目に、ふと欄間が目に入った。

彫刻されていたのは水鳥なのか。

目の前を、羽ばたいて飛び去ってゆく音がした。

 

*

 

「どうして?」

と立花は訊いた。

「すみません」

布団に仰向けに寝そべって、岬は涙を浮かべていた。

「抱きたいなんて、嘘です」

そう、言った。

「立花さんを、試してしまった」

「…試した?」

「どうして、そんなに僕を愛してくれるのか、分からない」

仰向いたままで、岬は涙を流した。

なぜ、涙が出るのか分からないままに。

「君が、君だから」

と立花は言った。

「酷薄なところも。非情なところも、君だ。君らしい」

「立花さん…」

「…君のせいじゃない」

*

 

美術工芸大学の受付に、博物館の招待券が積まれていた。

高台寺蒔絵と南蛮漆器、というタイトルの展示会のものだった。大学の教授が推薦していた。

パッケージ・デザインを志したい岬には、見ておきたい展覧会だった。蒔絵の図様はさぞ参考になるだろう。

一緒に哲学の道を歩いた彼女に、行かないかと誘った。

彼女は行くと答えた。

 

その日、京の底冷えがようやく温もうという頃に、約束していた。

学校から博物館へ直で行くことにする。

博物館は七条東山、豊国神社の南側にある。

彼女が授業を終えるのを校門前で待っていると、やがて彼女はやって来たが、急にアルバイトが入ったと言って謝った。

来週の思文閣美術館には行くから、と済まなそうに言う。

仕方がなく、岬は一人で博物館へ向った。

 

一人でこのような展示会に来るのは、久しぶりだと思った。

最近は必ず立花が連れて行ってくれた。

そう言えば、立花はどうしているだろう。

あれから、会っていない。

岬は気まずい気持ちだったが、立花はそんなことを気にする男ではないだろう。そのことが、岬には分かるようになった。

立花には細君がいるが、おそらく細君に対しても誠実なのだろう。

岬に対してと同じように。

金をもらって立花の欲求に奉仕するはずの岬が、自分の欲望を立花に求めることなど、してはならないことなのだった。

にも関わらず、立花は岬の言いなりになろうとした。

黒地に金の細工が施された絶妙なデザインの文箱などを見ながら、立花のことを考えた。

今度遇った時も、変わらず自分を受け入れてくれるのだろうか。

ふっ、と岬は笑った。

金をもらって身体を許す。

それだけの関係のはずなのに。

 

博物館の別館へ行って、2階の絵画室を覗いた。

軸ものが展示されている中に、「雪中鶏図」というのがあった。

あの南禅寺近くの旅館で見た、床の間の掛け軸の絵に似ていた。

旅館の掛け軸が、有名な絵を模したものだったのだろう。

その絵の絵葉書を買って、博物館の外へ出た。

向いは三十三間堂だった。

まだ暖かくない時期のことで観光客は多くはないが、季節はずれの修学旅行生などはいて、そこそこの人出がある。

岬は横断舗道を渡り、角を曲がって三十三間堂の入り口へ向かった。

ふと堂の入り口を出て、向いの寺へ歩く男の二人連れに目が止まった。

かなり離れた位置にいたので、二人連れは岬に気がつかない。

始め、二人連れの一人が和服を着ていてそれが珍しく、遠くからでも気を留めたのだった。

だが、次に、和服の若い男の連れが、紛れもなく立花であることに岬は気がついた。

気がついたと同時に、無意識に二人の後をついて歩いた。

 

和服の若い男。…そう言えば、と岬は記憶を辿った。

能楽堂の能を見に行って、楽屋へ入った時、役者の世話をしていた若い付き人に、良く似ている。

あの男なのだろうか。

着物の色柄が良く似ているからだろうか。近くへ寄れば分かるのだろう。が、それ以上は確かめられない。

二人は寺の横の狭い通りに入った。

連れ立って歩いているというよりは、若い和服の男が立花を誘導しているかのように見えた。

狭い通りは夕方で薄暗く、人通りはない。

岬も思い切ってその通りに入ろうと思った。

 

単に、知り合いと歩いているだけに違いない。

けれども、そこに自分の知らない立花がいる。

自分に向けてではない笑顔を向ける相手がいる。

それだけで、身を灼かれるようだった。

建物の影からそっと、狭い通りの向こうを伺ってみた。

小路の先は行き止まりのようで、ビルの壁が建っている。

二人は誰もいない薄暗い通りの中ほどで立ち止まり、口論をしているように見えた。

和服の男が、立花の腕を掴む。

そうして、揺する。

立花を非難するような動き。その中に、甘えたような、拗ねたような、何とも言えぬ媚びがあるのを、岬は感じた。

男同士の間の、空気が止まる。一瞬間があく。

そののち、若い男は、立花の胸の中に身を投げ出した。

そうして、そのまま立花の唇を求めた。

二人は、唇を重ねた。

 

***

 

摩和羅女像が好きだ、と立花が言っていたことがあった。

彼女の像が、仏像の中で一番好きだと。

蓮華王院(三十三間堂)の二十八部衆の一つだと聞いた。

博物館の帰り、見て行こうと思っていたのだった。

頭を殴られたような衝撃に呆然としたまま、岬は表通りをふらふらと歩いた。

七条大橋に出て、川を見た。どのようにして自分の下宿まで戻ったのかは、半ば意識がないのだった。

二人は、岬にはとうとう気づかなかった。

小路を突き当りまで歩き、二人は横に折れた。

そこにはホテルがあった。

ラブホテルではない。七条通にも面した、大きなホテルだった。

 

立花が、自分を愛しつつ、他の男に心を移すなどということは考えられなかった。

あの二人の様子から、若い和服の男が立花に無理強いをしたのだ。

それとも、岬が希望的予測でそう思うだけなのか。

立花という男は、決して浮ついた、誰とでも寝るような、見境のない男ではない。

あるいは、単にそう思っていたいだけなのか。

岬は、凍てつくような焦燥にかられ、惨めな思いに浸った。

嫉妬なのか。独占欲なのか。

或いは両方なのか。

思いついてメールをした。

立花に、どこにいるのかと。

会いたい、とは書けなかった。

連絡はなかった。

*

 

三月、春・弥生。

春になったら醍醐寺へ行こう、と立花が言っていたことを思い出した。

―あそこには秘宝があってね。住職に特別に見せてもらえるんだ。

そこだけではなかった。もっと、共に行きたい処があった。

もっと、立花に案内して欲しい処があった。

翌日、立花からメールがあった。

―済まない。当分会えないかもしれない。また連絡する。

そっけない内容。

それだけで、自分を切られるのかもしれない。

仕方がない。目先の欲望だけに動かされ、好き勝手をしている自分が悪い。自業自得だ。

収入が減ってしまう。バーのアルバイトで稼ぐしかない。

携帯の画面を見つめながら、岬は涙を流していた。

 

Next

話のトップへ | もどる | つぎへ

HOME : Story

2style.net