Story

三十三間の闇

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05/9/30

 

その男は、下京の旅館の主人だった。

主人と言っても、女将である妻が旅館を切り盛りしていて、主人は殆ど遊んでいる気楽な身分だ。
だが世話好きで、町内や区内の役をいろいろ任されている、そんな男だった。

木屋町の、こじゃれたバーでアルバイトをしている岬とは、そのバイト先で知り合った。

最近進出している不健全な店とは違い、古典的な洋風酒場で、落ち着いた客が多い。

男と知り合う前は、健全な店だと思っていた。

そこで働いていながら何も知らなかった。

知らないで入る客もいるし、知らなければそのままで通る、そんな店。

バーのマスターがゲイだった。

その関係で、マスターの友人が来る。その趣味の人間が集まるのだった。

立花は、マスターの友人の一人だった。

 

ある晩、岬は立花に誘われた。

そのまま知らない振りをして、拒否すれば出来ないことはなかった。

岬はしかし、そうはしなかった。

立花に誘われるまま、身体を与えた。

昼間、京都美術工芸大学に通っている岬は、学費の他、材料費や服飾代などで出費が多かった。

バーでのバイトでもらう給料のほか、立花と寝る度にもらえる「こづかい」は魅力だった。
そのために身体を許したようなものだ。

身体は、立花とベッドをともにするうち、楽に男性を受け入れられるようになっていた。

そのことを別に何とも思わなかった。

金のためと割り切っているから、苦痛でも何でも、恥でもなかったのだ。

 

「この間、岡崎で君を見たよ」

祇園石段下から、少し南東へ入った、フロントが無人のラブホテルだった。

「岡崎のどこですか」

「みやこメッセ」

「ああ…」

一戦を交えたあと、互いに全裸でひと息付いている時だった。

「大学の教授たちの展示会があって、教授の作品が出品されていたから見に行ったことがある。…その時かも」

「―たぶんそうだろう」

「来ておられたんですか。声をかけてくだされば良かったのに」

「家内と一緒でね」

「奥さんとですか…」

岬は少し気を削がれた。

立花が妻持ちであることは知っている。だが今ここに、家庭の話題を持ち出さなくても…という思いが立つ。

「奥さんにこんなこと知られたら大変ですね」

「家内は知っているよ」

「えっ…」

「私は養子でね。ずいぶん昔だが、京都の大学に勉強しに来た。その時に今の家内に見初められたというわけだ。

「子供を作るの、どうのという話になった時に彼女に告白した。その時彼女は別れるつもりだったらしい。当然だ。けれども私は私なりに彼女を愛している。だから結婚した。
だがそれでも男を止められない。というか、時々男が恋しくなる。

「都合のいい言い草だったとは思っているが、それを許して欲しいと言った。
彼女を愛しているから一緒になった。それは変わりないんだから」

「奥さんは、それで立花さんを許したんですか」

「彼女は分かってくれた」

岬には、到底理解の及ばぬ男女のあり方だった。

が、そんなこともあり得るのかもしれない。そう思うしかない。

立花と、彼の妻との間にある感情に分け入ることなどはしたくない。

「それじゃ、今も奥さんを一番愛しておられるんですね」

「―君も愛しているよ」

岬は笑った。

「無理しなくってもいいですよ」

「本当だよ。君のような子に出会えて嬉しいんだ。…君の若さは私に気力を与えてくれる」

立花はいわゆるバイセクシュアルなのだろうと思う。

彼が細君を愛していることは間違いない。長年共に暮らしていたのなら、夫婦としての情があるのもむしろ当然のことだろう。

細君を連れて展覧会へ行くくらいなのだから、彼らなりに仲が良いのだ。

自分がどうこうと、口を挟むことではない。

嫉妬を感じる立場にさえ岬はない。

立花とは金のやり取りだけ。こづかい稼ぎの関係でしかないのだから。

 

立花は岬の股間に顔を埋め、熱心に口を動かしていた。

立花の巧みな愛撫で、岬のかたちに忽ち変化が起こる。

そこには快感があり、大人の成熟した男が、自分に奉仕してくれているという、優越感めいた歓びもあった。

後ろから挑まれるのに始めは抵抗を感じたが、それも慣れた。

男が、背後で自分を責めながら汗まみれになっているさまは男らしい、と思うようになった。

男同士の抱擁は、格闘のようだと思う。

熱い男の迸りを受けとめるには体力が要り、その度に激しい消耗があった。

が、同じくらい激しい快感もある。

もしかしたら、女と普通に交わるよりもずっと刺激的かもしれないと思う。

獣じみた交わりに陶酔さえ覚える。

その刺激はそのまま収入になる。

止められない快楽だった。

 

***

 

顔見世へ行かないかと立花に誘われた。

紅葉が終るか終らないかの頃に、南座の顔見世は始まる。

が、立花の誘ったのは12月の半ば。顔見世のちょうど半(なか)日くらいだ。

…それが、岬の立場なのだと察する。

初日には細君と行ったのだろう。それは当然だ。

立花のような男が、どの日であれ細君以外と南座へ行く、という行為自体がむしろ、あられもないことだ。

狭い町のこと、誰に見られぬでもない。

それを承知で立花は誘ったのだ。

男を連れて歌舞伎観劇に行く。そのことは、そういう男だと、暗に周囲に触れ回るようなものだ。

が、そこまでは岬には理解出来ていない。

「どんな形であれ、美的センスの問われる職業につく気なら、見ておいた方がいいよ」

と立花は言う。

岬を、ある種、教育しているのかもしれない。

いいものを見せ、吸収させ、咀嚼したその上で、若さの中にそれを華開かせる。そのために、岬に今、土台造りをしてくれているのだろうか。

 

席は、桟敷席だった。

無論、南座へ入るのも、歌舞伎を見るのも初めてだった。

三味線と、浄瑠璃の音がすぐ近くに、胸に響くほど大音量で聞こえる。

「伽羅先代萩」「菅原伝授手習鏡」…

最上の席で、間近に贅沢な役者陣の芝居を見る。

役者の汗が、唾が、間近に見える。

30分ほどの休憩には、桟敷に弁当が届けられた。

「吉兆だ」

と立花が短く言う。

京都の有名料理店である。それだけで、そこそこの値がするだろう。

岬にとっては、すべてが夢の中の出来事のようだった。

最後は「勧進帳」だった。まだ団十郎が元気な頃である。

「むしろほかの役者で見たいんだが。こればっかりはね」

と立花が言う。

立花は幕間に簡単に説明をした。

とても簡単なもので、それ以上は何も言わない。

あとは岬の感性で、すべてを受けとめなければならない。

それが、立花の狙いかもしれなかったが。

 

すべてが終って中年や老年の女性たちに交じって南座の出口から吐き出された時、岬はまるで酔ったようになっていた。

初冬の空気は冷たく、息が白く凝る。とくに夜になると底冷えが身体に響く。

その夜は、しかし暑かった。

そのまま、立花は川端通を南へ歩き、ラブホテルへ岬を誘った。

「セックスよりも刺激的なことが世の中にはいくらもあるけれどね」

そう言って、ベッドで岬を愛撫する立花に、大人の余裕と色気を感じた。

劇場での興奮が覚めやらない岬は、肉体も昂ぶっていた。

 

京都が舞台になっていることがあまりにも多いですが、ほかの町を知らないからです。
ほかで知っている所といえばせいぜい大阪くらいですが、大阪だって、どこに人が住んでいるか知らないし…。

それで知らない町を描写出来ないので、いきおい知っているところオンリーになってしまう。。お話の中身はまるきりフィクションなんですが。。

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つづく

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