鴨川慕情
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休みの日、寺町へ歩いてブラシ屋で筆を買った。そのまま、寺町通を松原まで歩き、松原を東へ進んだ。
河原町通へ出たが、横断舗道を渡って、そのまま松原をまっすぐ歩いた。
高瀬川の川べりにさつきが咲いていた。
高瀬川を越えてさらに歩き、鴨川へ出た。
松原橋を渡り、ずんずん歩く。
宮川町を過ぎる。犬矢来のある京町家が並んでいる。
舞妓が歩いている。本物かなと思う。
さらに歩くと六波羅という看板が目についた。
もう六波羅に来ていたらしい。
大和大路を越え、もうすぐ東大路通だというあたりに、六道珍皇寺があった。
境内に、迎え鐘がある。紐を引いて、鐘をついてみた。
季節はずれの鐘が、境内に響いた。
木屋町の料理屋へ行かないかと誘うと、忍は承知した。
身体だけの関係でと忍が言う。
忠弘はどうだったのだろう。
自分の態度が、忍にそう思わせるものがあったのか。
チャンスを逃したくなくて、がむしゃらに突進しようと思った。
そのつもりが意外とすぐに陥落し、それで、忍が誰にも応じる人間なのかと思ったのは、確かだ。
それでも構わないと思ったのだ。
身体だけの関係を結びたくて忍を誘ったのなら、右京とは別れなかった。
けれども軽い気持で忍に近づいたのも確かだ。
軽い気持で、この京都で、京都にいる間、恋人でいられたらいいと軽い気持で思っていた。
軽い恋人か。
忠弘は自分の目論みを、漸く自分で覚った。
自分勝手で自分に都合のいい考えだ。
まるで駄々っ子のような忍の言葉を思い出した。
忍の言葉が、正反対の気持を言っているのではないかと、その時気がついた。
案内に連れられて、忍が入って来た。
忠弘を見ると、忍は少しばつが悪そうに顔を俯けた。
「…」
「このあたりは木屋町でもわりと安心だと思って…」
忠弘が口を切った。
「四条より北は危ないからね」
「…この間は、すみませんでした」
思いきってというように、忍が言った。
「…どうして」
「どうしても…」
「…俺も悪かったよ」
「なぜ。本郷さんは悪くないです」
「しつこく言った」
「…」
「君の嫌がることかもしれないのに、しつこく訊いた」
料理が運ばれて来て、二人は口を噤んだ。
何度も入って来られるのが煩わしいので、懐石の弁当にした。
吸い物、揚げ出し、茶碗蒸、蓋物には煮物、そして鏑の浅漬け…、それほど高価なものではない。
忍が安物と判断するのではと心苦しかった。
「…本郷さんは、僕にとっては大事な人です。失いたくない」
「ほんとに?」
「あんなことを言ったのは、本郷さんに先に言われたくなかったからだ」
「…」
「僕は臆病なんです」
「忍君…。俺はその、君を苦しめた…かもしれない」
忍は首を横に振った。
「…遊びの方が気が楽だし苦しまなくても済む…よな」
「本郷さん…」
「とにかく食べようか」
「…はい」
機械的に箸を口へ持って行くが、忍が食事を味わっているようには思えなかった。
忠弘も同じだった。
「昼間、散歩をしたよ。松原通をまっすぐ歩いたら、六道珍皇寺へ着いた」
「…珍皇寺ですか。…あそこは冥界への入り口があると言われてる」
「そういえば閻魔様もある。あそこは昔は葬場だったようだね。…途中さつきがきれいだった」
「…高瀬川ですね」
「うん。…鴨川を渡ったら舞妓さんがいたけれど本物かな」
「あそこなら本物ですよ。置屋があるから。…鴨川の向こうへは、なかなか行こうと思いません」
「どうして」
「何となく、結界のような感じがある。鴨川を挟んで向こうは結界の外、みたいな」
「冥界との結界、かな」
「…そうかも」
「君と歩きたいと思ったよ。昼間に」
「珍皇寺に…」
「いや、…どこでも。散歩するのにうってつけの町だ。どこでもいいから…」
「…」
「右京とは別れた。…言わなかったかな…。俺なりにけじめをつけたくて」
忍は箸を置いた。
忍の裸の胸の片方の突起を弄りながら、もう片方を口で吸った。
それから唇を下へずらしてゆき、鳩尾から臍、そして脚の付け根を愛撫した。
太腿から膝の裏、そして足の甲に達した。
舌を、忍の足の甲から足裏にかけて、全体に這わせた。
きめの細かい肌を、自分の好きなように触れ、愛撫し貪った。
忍が求めたので、彼の上に覆い被さり、唇を貪った。
長い間、そうやって唇を貪り続けた。
身体が入れ替わり、忍が上になった。
忠弘の上に乗って、忍が動いていた。
自分のものを握り締め、それを擦っていた。
忠弘は忍を見ていたいと思ったが、つい目を閉じる。
忍の尻を抱え込み、自分の股間に押し付けるようにし、腰を動かした。
忍が前のめりになって、忠弘の胸に手をついて、身体を支える。
忠弘は膝を折り曲げ、手を背後について、上半身を起した。忍を乗せたままで、向い合せになる。
そのままの姿勢で、忍に突き入れた。忍の尻を抱え、腰を入れる。
忍の身体が汗ばんでいた。
忠弘も、汗まみれになっていた。
忍が忠弘の背中に手を回した。
腹と腹が密着し、二人とも夢中で動いた。
*
「君のことをもっと知りたい」
と忠弘は言った。
「…君が何を考えているかが知りたい。君の本音を知りたい」
「…」
「俺って、馬鹿みたいだろ。子供みたいだ。…君を困らせるだけなのかな」
忍は上を向いたままだった。
「僕は臆病なんです」
「…それは…」
「正直な気持を言うのが苦手だ」
「…」
「本郷さんは、僕とは正反対で、明るくて、積極的だ…。だから、惹かれた」
「それはお互いだよ。…俺はこんなだから、君みたいな人に神秘性を感じて惹かれる…。人はきっと自分とは反対なものに惹かれるんだ」
「…ぼくの気持が重すぎて、本郷さんの負担になるんじゃないかとか…、いろいろ考えた。あまりにも気持を出すと、逃げられるんじゃないか、とか…」
「俺をそんな風に思ってたのか?」
「こわかった。…。遊びと思った方が…、身体だけと思った方が楽だ」
「…身体も、心も預けた方がもっと楽になる」
「本郷さん…」
忠弘は忍に覆い被さり、再び唇を求めた。
忍が苦痛に歪んだような表情をしたように思ったが、一瞬ののち忍は行為に没頭していた。
*
木曜日、忍が休みの日、忠弘も休みを取って会った。
遅い朝食を…昼食かもしれない…を作って、忍に振舞った。
器用ですねと忍が言い、一人暮らしが長いから多少の心得が出来たと言った。
忍はいつもはマンションから店へ行き、そこに住んでいる母の作った食事を摂るということだった。
「一応『ゼルダおばさんのあずきパイ』、という名前が候補なんだが…」
こしあんの入った一口パイをまた、忍に出す。
「美味しいけど…。その名前は…」
「良くないかな」
「うーん…」
忍が言葉に詰まった。
「わ、分かった。考え直そう」
「名前に情報がたくさんありすぎて、焦点が絞れていない」
「そ、そうか。それもそうだな」
「でも美味しいです」
「そうだろ、味は良いと思うんだよ。何だったらおふくろさんに持って行ってあげて」
「…はい」
二人で、外へ出た。
天気のよい平日だった。
富小路通を高辻まで行き、そこから東へ歩いた。
河原町を横切り、木屋町へ出た。まださつきが咲いている。
高瀬川の横を歩き、仏光寺公園から鴨川の河川敷へ降りた。
「鴨川は結界だから、向こうへ渡るのは止そう」
コンクリートを流した河川敷に、ごつごつと石が埋まっている。足場が悪い中を、そろそろと歩く。
向こう岸では、平日なのにのんびり散歩している市民もいる。
北はずっと先まで何も遮るものが無く、北山が見えていた。橋がいくつも架かっているのが見える。
すぐそばを川が音をたてて流れていた。
「何だか空気が流れていて、気持が解放されるなあ」
四条へ向いて、歩き出す。
川には水鳥が群れていた。
「鴨がいる。うわあ、鶴もいるな」
「あれは鷺だと思います」
「鷺? へえ、鷺なんて初めて見た」
「鴨も鷺もよく見ます。…円山公園にもいるし。鴨は高瀬川にもいる」
「鷺はきれいだねえ」
「そうですね。とても大きくて」
鷺は川の中ほどの、低い中州で身繕いをしていた。
「都会の真中でこんなにのんびり出来るなんてな…」
「都会と言っても京都はちっぽけだから」
「でもなんか、凝縮してるよ。エキスが」
「エキス?」
「うん。…うまく言えないけどね…。すべてがある。文化というか、人間に必要なものというか。東京は偏ってる。何もかもありすぎるが、空気抜きがない」
「京都は…お好きですか」
「始めは大嫌いだったんだ」
「やっぱり」
「でも君がいるから」
一瞬だけ、忍の肩を抱いて、そして放した。
橋の上を歩いている者、対岸を自転車でゆく者、同じように歩いている者がいて、自由には振舞えない。
四条に近づくと、川に向いて座っている男女がちらほら増えて来た。
「やっぱりいるな。等間隔カップル」
「…いちど座ってみたいと思ってました」
「座ろうか」
忍は笑う。
「まさか」
「もっと川上へ行って、誰もいなくなったら」
「こんなことするの、学生ばかりです」
「気にしてたら一生座れないぜ」
「…途切れるとこがあるのかな」
「そりゃあるだろうさ」
二人は四条大橋を越え、等間隔カップルの後ろを歩きつづけた。
「男同士なんていないな」
「そらそうでしょう」
三条大橋が見え、前に二人で歩いた対岸の河川敷が見えた。
対岸というだけで、景色がその時とは違って見えた。
すぐ横を流れる川の流れは清々しく美しかった。
三条大橋を越え、どこまで歩いたか分からないくらいになった処でくたびれ、休みたくなった。
そのあたりにはもう座るカップルはいない。
散歩する人はいるが、歩くカップルもいないようだ。
忠弘が川に向ってさっさと座った。
忍も仕方なく、忠弘の横に腰掛けた。
「あいつら、ここで飯とか食うのかな」
「…いや、食べないでしょう」
「じゃ、座って何してるんだろう」
「何もしないんです。ただ、座ってる。何時間も」
「何時間も?」
「考えられないですよね。京都のカップルって。ほかに娯楽が無いわけではないのに、何もしないで二人でいる」
「何もしないでずっと…」
忍は頷く。
「そりゃあ、…最高だな。最高の時間の使い方だ」
「そうでしょうか」
「うん」
川の中で鴨が群れて、すいすいと泳いでいた。
向こう岸では、犬を連れて散歩している人がいた。
「怒らないでくれよ…」
と、忠弘は川の流れを見ながら言った。
「君は、君の店の客の誰とでも寝るのかと思ってたんだよ」
「…」
「心は誰にも預けない。だから身体だけは誰にでも…とかさ」
「…」
「すまん。あまりにも簡単に俺に応じてくれたから…」
忍は、深く深呼吸をひとつ、ついた。
「本郷さんは、あの人に似ていた」