鴨川慕情

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ベタなタイトルですみません。演歌みたいですね… 5部 記述はフィクションです。実在の店・建物等とは関係がありません。 |
京都へ転勤になった。
何が悲しくて京都くんだりまで行かなくてはならないのか。そう思った。
左遷だろうと思った。京都にはすでに菓子処が沢山あり、今更そんなところにマーケットを求めても市場が開けるのか。まずその疑問が浮かぶ。しかもマーケットが小さい。
風花堂という、洋菓子というかクッキーというか、それを扱うわが社は、すでに名古屋、大阪、福岡、神戸などには進出している。
だから当然京都も、というのは分かる。分かるが、マーケットとしては貧弱だ。何で俺に、という思いがまず忠弘に立つ。
それでも、新しい、自分をまったく知る者のいない土地へ行くことには、都合のいい部分もある。
誰も自分のことを知らないから、自由に振舞える。自由に遊べる。
本郷忠弘はゲイだ。
つまり、見知らぬ土地なら、肩身の狭い思いをせずに、存分に羽根を広げられる。そういう目算も、あるのだった。
ただ、京都という土地は、東京の1/10の広さだという。
そうすると、人間の数も1/10、ゲイの数も1/10、ゲイのための遊び場も1/10。それはちょっとキツイなと忠弘は思う。
やはり、いろんな意味で、京都は歓迎できかねる場所なのだ。
町のど真ん中の、新しく建ったばかりのあまり大きくないマンションに住居を決めて、早速したことは、ネットで自分のための遊び場を探すことだった。
つまり、同類が集まる場所を検索した。
東京にいた時、付き合っている相手はいた。
転勤が決まった時に別れた。
彼について来るかと言うことは出来ない。いや言ったとしても忠弘のために京都までついて来ることはないだろう。
案の定、じゃあもう止めよう、という話になった。
それ以上でも以下でもない付き合いだったということだろう。
それで良かったのかもしれない。
お互いに別れたくないと思うほどだったら、どうなっていたか。
相手にごねられ、悪くすれば会社にカミングアウト、という羽目に陥ったかもしれない。
これで良かったのだと思った。
*
「ねえー、ほら見てよ。巨大だからアレも巨大じゃない」
隣りの連れが小声で耳もとに囁く。
さすがに大声は出さない。
ミケランジェロの彫刻だ。
ミケランジェロの本物ではない。レプリカというか、本物から鋳型を取って作った複製を展示しているのだった。
ネットで検索して知った、大宮のバーで知りあったのが、隣にいる連れだった。
「好きよ、あたし。ミケランジェロ。ゲイって好きよね、ミケランジェロが」
「そうかなあ、まあなあ」
花菱右京という名前だというが本名かどうかは分からない。
茶道の家元をしているというが、それも事実かどうかは分からない。けれどもそんなことはどうでもいい。
付き合いやすく、SEXが良い。その条件さえ満たせていれば、言うことはない。
深く詮索をせず、相手を立てる。そんな右京が忠弘は気に入っていた。
ミケランジェロの複製を見に行こうと言い出したのも右京だ。
裸の男の彫刻が沢山あるから見に行こう、と言うのだ。
ひととおり見て回り、もとの場所へ戻って来たら、ダビデ像の前に像をしげしげと見上げている青年がいた。
「ほら、あの子もホモよ。絶対そうよ。あんなに熱心に股間を見ているんだもん」
すかさず右京が言う。
「そういう考えしか浮かばないのか。神聖なミケランジェロの彫刻に対して」
「あら。ミケランジェロだってホモだったのよ。知らないの?だから裸の男ばかりを彫ったんじゃない」
二人の会話が聞こえたのか、青年はそそくさとダビデの前から姿を消した。
「ほら見ろ、可哀相に。聞こえたんじゃないか。他の彫刻を見損なったぞ」
右京は舌を出した。
「あらー。だって、茶の湯だって、もとは男のためのものだったのよ。男の美学だったのよ。今は女の花嫁修行に成り下がっているけれど」
「だったのよって、それのどこが男の美学だ」
階段を降り、歩いているうちにどこへ出るのか分からなくなり、展示場をうろうろした。
どうやら別の展示場に迷い込んだらしかった。
「京都文化博物館って言うのか。何だか分かりにくいところだな。映画グッズまで置いてるぞ」
「そうなのよ。太秦に撮影所があったでしょ。それの記念」
何の記念なのか良く分からないが、古い映写機や、ポスターが雑然と貼られている。
「みすぼらしい展示だな」
「何なの。あなた何か恨みでもあるの?京都に」
「まあね」
出口かと思って歩いたところにはまた別の展示があった。
京人形、漆器、清水焼や印刻、掛け軸などが飾られている。
どうやら京都の工芸品の展示らしい。
意外にも、そこにいるのは若い青年たちが多かった。
初めて、さすが京都だと思った。こういうものに若者が興味を持つ都市は京都以外にはないだろう。
「あら、この人たちって、ここの展示品の作者よ、多分。ここ、若手の伝統工芸士の作品展って書いてあるもん」
「あ、そうなのか」
どうりで若者同士で語り合っているが、展示を見ている者があまりいないと思った。
そう思って彼らを見ていたら、そばにいる若者が、先ほどの展示室でダビデを見ていた青年だということに気がついた。
「あ…」
と思わず声を出した。と同時に、
「先ほど会いましたよね。あっちの展示室で」
反射的に青年に声をかけていた。
声をかけられた青年は、困ったように眉をひそめて、曖昧に首を振った。
否とも応とも取れる態度だ。
もう、忠弘には慣れて来た、これが京都人の曖昧な態度だ。
「ダビデをご覧になってたでしょ」
より具体的に突っ込んだ。
右京と、博物館の展示を見て回りながら、少しハイになっていたようだ。
「…息抜きに、ちょっと…」
と、青年は警戒心を露わにして答えた。
それが、忠弘と、忍との出会いだった。
「ハンコ屋さん?」
「はい、そうです…」
落款らしき物と、それで押した赤い印が、そこに展示されていた。何と読むのかは分からない。
「漢委奴国王」
「…。はあ」
「金印って、ご存知でしょう。九州で発見されて、国宝になっている…」
青年が説明した。
「ああ、ああ、何となく。日本の王様が中国からもらったとかいう…」
「はい、それを模刻してみたものです。ここの展示用なんですが」
忠弘はそのちっぽけな印鑑をしげしげと覗き込んだ。そこに押された、印字と見比べた。
「小さいねえ」
「実物大です。2センチちょっとなんです」
「へええ、金印ってそんなに小さかったんだ」
素直に驚き、感心した。
「こんな小さいところに、よく彫れるわねえ」
右京も感心している。
「はんこはもっと小さいですから」
忠弘は金印の複製から顔を離し、青年を見た。
「普段は印鑑とか、彫ってるんですか」
「はい、寺町の店で彫ってます」
「へええ、じゃあ、俺のハンコなんかも作ってもらえたりするんだ」
「はい、…まあ」
「あはは、お客さんのはんこは作るけど、本郷ちゃんには作りたくないみたい」
右京が茶化した。
「…そんなことないです」
「じゃあ作ってもらおうかな。ちょうど欲しかったんだ。実印とか」
「実印?」
右京が驚く。
「印鑑証明とか、されるんですか」
「いや、別に、かっこいい実印があればと思って」
「実印はあまり変えない方がいいです。認めか、かっこいいのなら落款とか、蔵書印なんかもありますし」
「あっ、そうだねえ。落款なんかいいなあ。自分の」
「最近、絵手紙を描かれる方が多くて、それに落款を押すとかっこいいです」
「ちゃんと商売してるねえ、君」
「…はい」
青年は、頬を赤くして眉を顰めた。
「じゃあ落款にしよう。今度君のいる店に行くよ」
「お待ちしています」
*
「本郷ちゃんたら、もう」
博物館を出て、近くのイノダ本店へ行った。
「すっぱいコーヒーだ」
「イノダのブレンドはこうなのよ」
右京が頬を膨らませている。
「何を怒ってるんだ」
「何よ、絵手紙なんて、描いたことあるの?」
「ないさ、そんなの」
「ほら、ほんとにもう。あの子にひと目惚れなの?」
「何だ、まるで女房みたいに焼きもちかい」
「ふん。そりゃああんたとあたしはカラダの関係だけよ」
「ちょっと、大きい声を出さないでくれよ」
忠弘は思わず周りを見回した。
ガラス張りの喫茶室の向こうに坪庭があり、竹が植わっている。つくばいがあり、地面には苔が生えている。
和洋折衷というか、不思議な店だ。空間が広く開放的なので、少し声を出すと他の客にまる聞こえのような気がする。
「それでも目の前で別の男にモーションをかけられたらいい気持ちしないでしょ」
「モーションか。古い言葉だなあ。俺知らないぞ」
「もう、本郷ちゃんたら」
「寺町姉小路下ルか…。なんとか小路が多いからややこしいな」
もらった名刺を眺める。落款のついた、粋なデザインの名刺だ。
「ああいう子が好みなの」
「そうだなあ。なんかなよっとした、頼りなげなのがいいんだ。右京とかさ」
「ふんだ」
「あの子、ホモかな」
「間違いないわよ。ダビデの股間をあんなに見ていたもん」
「こだわるなあ」
「ホモ同士って、何となく分かるわね。男を見る目がさ。ねとっとしてるじゃない」
「うん、うん。そういやダビデもねっとり見ていたかな」
「あたしたちと同じ目なのよ。本郷ちゃんを見る目もね、そうだった」
「ほんとか?」
「うん。…あら何よ。にやけた顔しちゃって。そんなに嬉しいの」
右京はコーヒーカップを下に置いて、忠弘の目尻を突つこうとする。
忠弘は背を反らせて攻撃を逃れた。
「いやあ、脈があるかと思ってさ。俺たちって、そう簡単に相手を見つけられないじゃないか。チャンスがあったらどんな小さいきっかけでも絶対逃すわけにはいかない」
「あたしの前で言わないでよ」
「なんかさ、君とは同志じゃないか。そんな感じがしちゃって」
「どうせそうよ。…まあね、お互い本命が見つかるまでの一時凌ぎ、っていう風になってるけどさ」
「すまんね」
「でもあの子、本郷ちゃんのきらいなバリバリの京都人よ」
「え、そうなの?」
「だって、寺町のハンコ屋、って言ってたでしょ。そんなど真ん中で店やってる若者って、何代目かに決まってるじゃん。代々お家がハンコ屋。そこの息子。最低3代は続いてるわよ」
「それはキツイな。かなりキツイ」
「あたしもさ、亀岡から出て来たけど、今だに京都人、苦手よ。なんか口だけだし」
コーヒーはすっかりなくなっていたが、話が止まらなかった。
「そうだよな。顔は笑ってるんだよ。考えときますね、とか愛想よく言ってさ。で次行ったら何しに来た、って顔されるんだよ。ゴキブリを見るみたいな顔されるんだ。たまんないよ」
「終らないわねェ。京都人の悪口言ってると」
日が長いので分からなかったが、もう夕暮れ時だ。
居酒屋へ移動しようとしたら、右京が権太呂がいいと言った。
二人はイノダを出て堺町通を四条へ歩いた。
「お待ちしてますなんて、あの子も愛想だけなのかな」
松尾忍、という印刷された名前と落款を眺めて、忠弘はそう思った。