Story

祇園祭の海2
紺青の海 夏編

07/7/5

 

男が狙いを定めて引き金を引いた。

 

鋭い目は真剣に的を狙い、射的の銃を構えた姿が妙に様になっている。

次の瞬間、キティちゃんのぬいぐるみがもんどりうって見本台から落ちた。

「大当たり〜!」

射的の店のおじさんが大声を出す。

「す、すごい…」

遙は目を見張った。

ほとんど何のウォーミングアップも無しに電光石火の早業で的を射落とした。

「ハジキ関係は強いさかいな」

冗談とも本気ともつかないことを言い、男が遙に射止めたキティちゃんを渡した。

「落さんように持っとけ」

子供じゃないのにと言いたいのを我慢しながら、遙はキティちゃんのぬいぐるみを抱えた。

「いやー、遙ちゃん、良かったなあ。キティちゃんゲットやん」

まゆが無邪気に喜ぶ。

「は、はあ」

「よう似合うな」

「あいつのそばに寄らん方がええかもしれん」

「そんな…」

むき出しのキティちゃんを抱えたまま、遙は慌てて男たちの後を追いかけた。

それはかなり恥ずかしいありさまだった。

遙がそばに近づくと、男たちがくすくす笑った。

気押されして立ちすくむとたちまち遅れる。

さらに人の波に押されてなかなか進めず、前の男たちを見失いそうになる。

人混みの熱気に、体中から汗をどっと吹き出させながら、遙は男たちを追った。

 

「あ…。兄さん、やばい」

安が後ろからおたおたと付いて来る遙を指差した。

男が振り返って遙を見た。

「あれはうそ泣きや。あいつ、いつでも泣き真似しよるね」

「そやけど」

「遙ちゃんおいで、キティちゃん持ったげよか」

まゆが気をきかす。

遙は棒立ちになっている。

「口とがらしてどないしてん。怒ってんのか」

なかなか来ない遙に痺れを切らして、男が遙に近づいた。

「あ」

男が遙を見て焦った。

「何や、すねてんのか?どうした。しんどなったか」

遙は恨みがましい目で、男を睨めつけた。

「分かった分かった。ちょっと休もか、な。なんか買うたろか。お面か。ミッキーのお面買うたろか」

遙はよけいに恨みがましい目をして、男を見た。

「ほ、ほなら何か食うか。氷でもどや」

「あたしも暑いししんどいー。かき氷欲しいー」

まゆが賛成する。

菊水鉾の前にかき氷のテントが出ていて、ベンチがあり、座れるようになっていた。

しかし人がいっぱいで座れるスペースはない。

立ったままで、4人が寄り合った。

「遙、好きなん頼め。レモンか?メロンもあるぞ」

「あたし、いちご」

「まゆはいちごか、よっしゃ、安、買うて来い。おまえも好きなん買え」

「へ」

男がズボンのポケットから札を取り出し、安に渡す。

「遙、どうする?」

遙がうじうじしている。

「氷はいらんのか」

「う…」

「ん?何や?」

「…宇治金時…」

男がしばし、たじろいだ。

「宇治金時か。あれはな…。あんこがいるしな。こういうテントではあんこまであんまり用意してへんのや…」

あくまでやさしく遙を諭そうとする。

「兄さん、あります」

安が、店の前のメニューをびしっと指差した。

そのテント店は大きく、メニューに写真まで使っていた。そこに宇治金時の写真もあったのだ。

「あるんか、ほな、宇治金時や」

心なしか男の声がほっとしていた。

「兄さんはどうしゃはります」

「ワシはみぞれでええ」

「へ」

「安ちゃん、あたしも運ぶわー」

まゆが、安について行った。

「遙、もうちょっと待っとけ。ええ子やな」

男が、遙の頭をぽんぽんと叩いた。

遙は、何となく先ほどから誤解されている、と感じていたが、黙っていた。

 

大きな紙コップの上にプラスチックの花びらのような器のついた入れ物に、かき氷が山盛り入っていた。

ストライプのストローの先だけを扁平にしたようなお匙がついていて、それで氷をつつきながら食べる。

「きゃー、つめたー」

まゆが嬉しそうに騒ぐ。いちご氷で口の中が真っ赤だ。

「あ、あすこ空いた。兄さん」

「おう、遙、ほら座れ」

遙が座ると、男の威圧的な風貌に圧倒されたのか、周囲の者がその周辺の場所を空けた。

それで4人全員が座った。

「しんどかったやろ、遙。うまいか」

遙はキティちゃんを股の間に挟んで、宇治金時を食べ始めた。

「お、美味しい」

「そうか」

まゆがぽかんとして二人を見ていた。

安がまゆのひじを突つく。

「ほっとけ。好きにさせとけ」

「ゆっくり食べ。慌てんでええさかい」

焦って氷を頬張り、冷たさに目を白黒していた遙に男がアドバイスする。

「えらい遙ちゃんに世話焼いたはる」

まゆがこそっと安に囁いた。

「うむ」

「あんこと氷を交互に食べるねや」

「は、はい」

依然として遙は必死になって氷にかぶりついている。

男が横にぴったりと付いているため、極度に緊張して、少しでも早く食べ終わろうと焦っているのだ。

「慌てたら氷を落してしまうぞ」

自分のみぞれが溶けかかっているのも構わず、男は遙に注意している。

 

ざわついている人混みがいっそうざわめき、警官の吹く笛の音も聞こえて来た。

人が減ることがない。ますます増えている。

歩く人の速度は遅くなり、完全に徐行になっている。

太鼓の音が聞こえ、ついで鉦の音も聞こえて来た。

菊水鉾の祇園囃子が始まるのだ。

「室町通りが一方通行になるな。もう北向いてしか歩けへん」

お囃子の音は、存外大きな音で周囲に響いた。

近くで聞くと、耳が痛いくらいだ。

時々、お囃子方のヨーイー、という囃子声が聞こえ、それが耳に心地よい。

「錦まで上がって、新町へ行って、そこから四条まで下がろか」

「へ」

「遙、食べたか。ほな行こか」

お囃子の音に聞き惚れて、もう少し聞いていたいと遙は思った。

「…いい音色ですね」

「昼間からスピーカーで流れるさかい、どれがほんまもんの祇園囃子か紛らわしぃてしゃあない」

「でも全然違いますね…。本物はすごい…力強くて、迫力があって」

「ほんま、あたしもこの音聞いたらうきうきしてくるねん」

「まゆはいつでもうきうきしてるやんけ」

「いやあー、お兄さんいうたらあんなこと言わはる」

男に突っ込まれてまゆが嬉しそうにする。

 

月鉾は四条通、南側に面して建っていて、鉾頭に三日月を掲げ、聳えていた。

四条通は広く、室町や新町通の倍くらいの幅があるが、既に歩行者天国で人だらけになっていて、人波は東西に向いて歩いているから、そこを横断しようとすると並大抵ではない。

男が遙の手を取り、がっしりと掴んで人の波に泳ぎ出した。

後ろから安とまゆも付いて来る。

月鉾もお囃子を奏でていて、近づくに連れてお囃子の音がごんごんと響いて来る。

人に揉まれて汗が吹き出る。小突かれて、転びそうになる。

「祇園祭の醍醐味ちゅうわけや」

遙の手を引きながら、男が言う。

遙は男の手が外れないように歩くことだけで精一杯だった。

こんなに人がいる処に今まで遭遇したことがない。

というより、京都のどこにこれだけの膨大な数の人間がいたのだろうか。

東寺の弘法市よりもすさまじい。

しかもみんな祭り慣れしているというのか、この人混みを見ても誰一人たじろぐ者もいないし、焦ってもいない。この人混みを楽しそうにぶらぶらと歩いている。

昨日までは車が忙しく行き交っていた通りなのに、人々は、ここが10年前から歩道だったかのような顔をして、当然のように歩きざわめいていた。

 

「月鉾や」

巨大な鉾のまわりにひときわ沢山の人だかりがあり、ごった返していた。

ちまき入りませんかー、という子供の声がする。

歩道にはテントが貼られ、月鉾グッズが売られている。

人の波は、月鉾の会所に入ろうとする長い列のために停滞中だった。

男が列の最後尾に陣取る。

安が鉾の前で売っているちまきを苦労して4人分買い、列に加わった。

たそがれ始めた空に、鉾の真木が突き刺すように聳えている。

上を向いても鉾先が容易に見えない。

鉾の前には駒形提灯が山の形の屋根の下にずらりと垂れ下がっている。

鉾の上には浴衣を着た囃子方が何十人もいて、鉾の櫓のわきに腰かけ、見物人に尻を向けている。

遙はぽかんとして鉾を眺めるが、遙のようにまじまじと鉾を見つめている者はあまりいない。

「あと1時間くらいしたら登れるかもな」

「ええっ。…そんなにかかるんですか」

「皆のんべんだらりとしてるさかいな。登った奴はなかなか降りて来よらん」

「…」

「時間はあってないよなもんや」

「…待っているうちに文庫本が1冊読めますね」

男がはははと笑った。

「おまえのたとえはさすがにK大生的やな」

男が遙の頭をがしがしと撫で回した。

「この月鉾は円山応挙が絵を描いてんねや。登ったらよう見とけ」

「ええっ。ほ、ほんとですか」

「知ってるか、円山応挙」

「し、知ってます…」

「ワシは知らんのやけどな。昔からそう言われてるんや。月鉾には応挙の絵がある、いうて。そやから多分昔の絵描きやろ」

 

月鉾の会所と言われるところの二階に、様々なものが飾ってあった。

鉾に登るには、会所の二階から臨時に設けられた簡易式の木製の折りたたみ橋をわたって鉾に入る。

のろのろとした人の列が会所の階段に続き、階段を上ると、そこに鉾を飾る沢山の懸装品が展示されている。

懸装品を見ながら、順番が来るのを待つのだ。

「ここに飾ってるのを巡行の日の朝になってから鉾につけて、それから巡行するんや」

「えっ、でも今でもちゃんと鉾に付いてるのに」

「今のは言うたら普段着や。いっちょうらは巡行の日までとっとくんや」

「へえー、そうなんですか。面白い」

遙の顔が輝いている。

「これは西陣織でしょうか」

「そうちゃうか」

男は、自分の知らないことにはいい加減な返事をする。

「高いんでしょうか」

「どやろな」

「1枚1千万円以上する言うて、さっきおっさんが言うてたの聞きました」

横から安が口を挟んだ。

「ほんまかそれ」

「ええー、そんなするの。こんなきたない布きれやのに」

「こら、まゆ、会所の人が聞いてるがな」

「うわあ、月がある」

遙が声を上げて指差した。

金色の、上を向いた三日月の形をした、50センチほどの大きさの置物が飾ってあった。その月の置物は両はしの部分が欠けている。

月鉾のてっぺんに輝く鉾頭である。

初代として使われていた鉾頭であった。

「前に使てた鉾頭て書いてあるな」

「1573年…そんな古いものなんですね」

「古いのもちゃんととったぁるんやな」

男も感心している。

「あれって純金?」まゆが訊く。

「少なくとも24金やとワシは思う」

「あの鈍い光り方からしたら、純金かも」

「まあ、変なやすもんは使てへんやろな」

行列を作って待っている他の者も、それぞれに懸装品を見ながらあれこれと喋り合っている。

鉾に登るのを待つ間、人々はそのようにして退屈を紛らせているのだ。

そのためにこうして懸装品を飾ってあるのだろうなと遙は思い当たった。

そして、鉾に登る人に、このチャンスに自分たちの宝物を見てもらう。そういうシステムでもあるのだろう。

懸装品には天保年間と書かれているものが多かった。

 

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