Story

祇園祭の海1(1/5)
紺青の海 夏編1

07/7/2

 

百円ショップを出たらおいと呼びとめられた。

そのあと、こら、と叱責された。

遙は、アルバイトをコンビニから近所の百円ショップに変えていた。

コンビニの24時間営業がきつくなって来たからだ。

週に一度であっても深夜から早朝の仕事はこたえた。

とくに、いつ来るか分からないあの男に付き纏われてからはよけいに深夜のバイトが負担になった。

それで、夜11時までの百均のアルバイトに変えたのだが、すぐに突き止められ、こうして当然のようにショップの裏口で拘束され、連れ去られるのだった。

店の表で待っていないだけまだ上等だと思わなければならない。

いやならいやだとひとこと言えば済むことなのに、そのひとことが言えない。

それが苦しかった。

どのような報復をされるのだろうか、それが怖くて口に出せないのだ。

住んでいる処も、勤めている処も、通っている学校も知られている。すべてを男に把握されている以上、遙にどこにも逃げ場はなかった。

遙にとってあの男と心ならずも知り合ってから、恐怖が去らない日はなかった。

 

7月16日。宵山の日だった。

町はごった返していた。

ごく普通に歩いているように見える人でも、何か浮き足立っているような気がされる。

男がどのような目的で遙を誘い出したのか、遙には計り知れない。

何とか早番にしてもらい、早い時間に店を切り上げることが出来て、男の機嫌を損ねないで済んだ。

遙は悄然として男の後についた。

「遙ちゃーん、こっちえ」

まゆと安が地下鉄の駅の前にいた。

まゆは浴衣を着て、茶色い髪を逆立て、大きな花のヘアアクセサリーを髪につけている。

安が普通の恰好をして横にいた。

「相変わらずちぐはぐな奴らや」

自分たちの方がちぐはぐなんですけどと言いたいのを遙はこらえる。

「遙ちゃん、今日はすごい人え。びっくりせんときや」

「迷子になりなや」

安が心配した。

遙はおどおどして安と男を交互に見た。

「そや、鈍くさぁしてたら人に踏まれて倒されて内蔵破裂するぞ」

遙はごくりと唾を飲みこんで脂汗を拭った。

自分が踏まれて、内臓を破裂させているところを想像した。

安とまゆが互いに見合ってくすくすと笑った。

 

地下鉄でひと駅、御池で降りた。

ホームに浴衣姿の男女が大勢いる。

みな浮かれてざわめき、空気がいつもと違う色に染まっている。

地上へ出てみると、御池通はまだ驚くほどの人出ではなかった。広い通りはまだ真昼のように日がかんかんと照っていて、暑い。

室町通を姉小路まで下がるといきなり人が増えた。

すでに車の進入禁止になっている道路の真ん中に四角い木組の囲いがあり、その前に火の灯った提灯がずらりと垂れ下がっている。

木枠の中には四方に織物を飾ったクラシックなワゴンのようなものがあり、上に大きな松の木が刺さっている。

狭い道路にそれが立ち塞がっているから、人の波は避けて歩き、滞る。

「え、役の行者…」

遙が提灯に書かれた字を読んだ。

「役行者山や。そういう名前の山や」

男が説明した。

「山?山ですか…。うーん?」

山の前にはフラッシュをたいてカメラを撮っている人々がいる。枠組の前に置かれた木の立て札を読んでいる者もいる。

山というのは、遠くに見える、町を囲んでいるあの峰の連なりではないのだろうか。何だか良く分からない。聞き間違えたのだろうか。

そう悩み、疑問を抱えながら、男たちに促されて歩を進める。

会所の前では人だかりが出来ていて、なかなか進めない。

人混みをかき分けて歩く。

暑くてすぐに汗をかく。

通りの両横にテントの店が出て、わた菓子やかき氷やディズニーキャラクターのお面を売っている。

寺の境内の夜店のようだ。それが外に出て大規模になった感じである。

 

「わー、もろたもろた。はい、安ちゃんの分もねー」

まゆがうちわをもらってはしゃいだ。

「あー…」

「祇園祭うちわえー」

「……………」

遙が微妙な顔になった。

「遙も欲しいんか」

男が遙の顔を見て聞いた。

「えっ。い、いりませんとも」

遙は慌てて答える。

男がすたすたと歩いて行き、配っている者からうちわを奪うようにして掴みとり、遙に手渡した。

「あっ、鉾の場所が地図で書いてある」

遙の顔がぱっと輝いた。

うちわの裏面には鉾の案内図が簡単な地図に示されていた。

「良かったなー。うちわもらえて」

まゆが遙のようすを見て言った。

「欲しかったんやな。ほんまは」

男と安がひそひそ話し合う。

「ひ、ひそひそ話をしないで下さい」

遙はむくれて真っ赤になった。

 

「遙ちゃんいうたらほんまに可愛いわァ」

遙は無闇にうちわをばたばたあおいだ。

「あ、暑い。こんなに暑いのはじめてです」

「蒸し暑いもんな」

まゆがフォローしてくれる。

 

「おい、はよ歩け」

遙は右や左をきょろきょろ見回しては、止まる。

人混みで普通に歩けないこともあるが、通りの両脇のショーウィンドウに飾られている屏風や、彩色団扇や、鉾のミニチュアに目が向く。

男二人がさっさと歩いてゆこうとするが、あとの二人が遅いので、すぐに立ち止まる。

「よそ見してたら迷子になるぞ」

「遙ちゃん、手を繋いだげよ。迷子になったらあかんし」

まゆが遙の手を繋いだ。

引きずられるようにして、まゆについて歩く。

ひときわ、人だかりの多い場所を通った。

「鯉山…、鯉山って?」

「ああ、鯉がご神体の山や」

「へえええ?」

遙には分からないことだらけだ。

会所に順番待ちの列が出来ている。

そのせいで通りの人の流れが滞り、前へなかなか進まない。

「何があるんだろう」

「重要文化財の見送りが飾ったるねや。そう書いたる」

前をゆく男が答える。

「えええっ」

「見てみるか」

列に並び、だらだらしながら順番を待った。

暑さのために長く同じ姿勢を保つことが出来ず、次第にだらけて来る。しかも列がなかなか進まない。

「祇園祭いうたらこうやって団扇をあおぎながら、歩いたり止まったりしてだらだらせなならんな」

「ほんましんきくさ」

安が珍しく文句を言う。

「こんなんでしんきくさい言うてたら月鉾まで行けへんぞ」

男たちは月鉾という所まで行くつもりらしい。

遙はうちわの祇園祭マップを見た。

四角い碁盤状のタテヨコの線上に、チェスの駒のように鉾のアイコンが描いてある。

月鉾は、四条通と書かれた線の真上に乗っている。

今いる鯉山も、室町通という通りの上に描いてある。

「京都って本当にこんな風に四角く区切られているんだなあ…」

遙は感心した。

「分かりやすてええわ。こんな簡単な地図でもどこに何鉾があるか一目瞭然や」

遙は大きく頷いた。

人に押されながら路地のような細いとおり道を奥へ入ると、障子が解放されていて、畳の上に上を向いている鯉の大きな木彫りが置いてあった。

男がそれに指を指す。

「あれがご神体や。鯉の滝登り」

「へええええ」

「巡行の日はあれを山に乗せて歩く」

「へええええ」

「左甚五郎作や」

「へえええええっ。左甚五郎って実在の人なんですか」

「知らんがな。そんな風に言われてるねや」

「猿を作った人でしょう」

「猿を作るくらいやさかい、鯉かて作るんやろ」

「横に絨毯がかかってる」

赤い縁取りをした3畳くらいの大きさの絨毯のようなものが何枚も壁にかかっている。

年代もののようで、退色しているものもあるが、図柄があきらかに西洋の神話を題材にしたような、エキゾチックなものだ。

「絨毯とちゃう。見送り言うのや」

「見送り…。誰を見送るんですか」

男がむっとした。

「お前はへんなとこでボケんでええねや。そうですか、て言うといたらええのや」

見送りの前に説明書きがされていて、ベルギー製、重要文化財と書いてある。

「これが重要文化財ですか」

「そうらしいな。西洋もんやのに」

「ベルギー製の本物のタペストリーだったんだ…」

「当時、ヨーロッパから輸入した高価なものを、こうしてお祭の時に見せびらかしたんです。タペストリーを何に使うか知らないから、切り貼りして山の懸装品にしてしまったんですよ」

会所の見張り役のような人が、興味津々の遙に説明した。

「えー、その頃から貿易をしてたのかぁ…」

「あれとあれが、本来は一枚だったのを、切ってしまって前と後ろの見送りにしました」

「ああー、そうか…、もったいない。…というのか何というのか」

「大工さんのノミで、バスバスと断ち切っていったと言われています」

「えーっっ、大胆だなあ」

 

 

「はよ来い。迷子になる言うてるやろ」

遙がいちいち立ち止まって、露店やウィンドウの中を覗くので、男がしびれを切らした。

「は、はい。でも、…うわあ」

よたよたと男について歩きながら、遙はウィンドウの中の屏風に気を取られてしまう。

ウィンドウではなく、町家の格子の向こうに、格子の隙間から見えるように、わざわざ玄関に屏風や花を生けて飾ってある処もある。

格子にへばりつくように中の様子を見ながら遙は

「古いものなんでしょうね…」

などと暢気に呟いている。

さまざまな種類の鷹がさまざまなポーズで枝に乗っている処を描いた屏風である。

「遙、来い」

男が実力を行使し、遙の格子にかかっている指を無理矢理外し、遙の肩をつかんで人の流れに戻す。

「ただでさえ人で動かへんのに、いつまでもそんなんしてたらきりがないぞ」

「は、はい。でも、うわあっ」

遙がテントの店を指差す。

「射的だ。今どき射的があります!ほら、お兄さん」

「そらあるやろ。それがどやね」

男がうんざりした。

「だってだって」

「やりたいんやったらやれ。待ってるさかい」

「い、いえ、いいです…」

「あとでむくれても知らんぞ」

「…いいです」

こういうことが下手で、自信のない遙はすぐに諦める。

「何が欲しいね。キティちゃんか」

射的の陳列台の、最上段の一番遠い処に15センチくらいのキティちゃんのぬいぐるみが置かれている。

「えっ、ええっ? い、いいえ、あの」

「待っとれ」

つづく

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