紺青の海2
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そこは遙が始めに行った事務所のマンションより3筋ほど東寄りだったが、さほど離れていない、4階建ての小さいマンションだった。
狭い通りに面していて、あまり新しくない目立たない建物の3階に、遙は連れられた。
未青年なのに無理矢理酒を飲まされ、高級料理店で、咽喉の通らぬ食事を摂らされた。
その都度飲めない、食欲がないと弱々しく拒絶したが無駄だった。
遙のような押しの弱い、度胸のない人間の抗議など、無視されるのは当然だった。
安の運転する車の中で、
「おまえはワシに逆らう勇気があるか?」
と念を押された。
遙の顔をじっと見つめながらそう訊く男の低い声に、遙は震えた。
勇気などない。
情けないほど無力で、そして卑屈。
力で抑え込まれると、たとえその力が誤ったものでも、邪悪なものでも何一つ抵抗することが出来ない自分。
「ないのやったら、言う通りにせえ」
普通の正義感くらいは持っていると思っていたし、間違っているものを諭す程度の気概は持っているはずと、自分のことを信じていた。
その自信が、消え去った。
足元から掬われ、まっ逆さまに堕ちていく。情けない自分。
女の腐った奴、という男の罵りが、耳の奥に残って消えない。
マンションの3階の部屋の前まで、遙を見張るように付いて来た安が、部屋へ入ることなく帰った。
遙は男と二人きりで残された。
これから何が起こるのか、何をされるのか。――分かりきったことだった。
「そう緊張すな」
後ろから男が声をかける。
殺風景なリビングルーム。そして奥に寝室。
男に背中を突つかれて、寝室へ入った。
「ほんまに酒に弱いらしいな。顔が赤いで」
思わず頬に手を当てた。
頬は熱を持っていて、触れると熱いほどだった。先ほどの酒のせいなのだろう。
男は遙を小突いて、ベッドに腰掛けさせようとした。
その時遙はなけなしの抵抗を試みた。
坐らされたベッドから立ち上り、
「もう許して下さい。もう、帰らせて下さい。…お願いします」
最後の勇気を振り絞って、それだけ言った。
そんなことしか言えないのか。
情けなくて、言っているうちに涙が出て来た。
寝室から出ようとする遙を、男が強い力で簡単に封じ込める。
「お前はそんな風に気の弱い奴やさかい、付け込まれるんやな」
面白そうに男が言う。
涙がどんどん出て来る。
「きょう日の女は金のためやったらどんな男にでも股を開くぞ。ジジイにでも、ヤクザにでも、女子高生がやぞ。金のためだけやない、自分の有利になる思たら自分から体差し出しよる。…お前は女より根性なしやな」
よりいっそう涙が出て来た。
「それなら女の人に…、女の人にして下さい。僕は男です。僕はダメです。出来ません」
遙の脳裏に、この前の恐怖が蘇って来て、体が震えた。
無理矢理体を引き裂かれた怒りと屈辱。
どうすることも出来なかった情けない自分。
男は斟酌することなく遙をベッドの上にころがした。
「名前はなんちゅうんや」
「…と、 莵道です」
つられるように答えた。
「トド?トドいう名前か」
「名字です―」
「名前を聞いてるんじゃ」
「は、遙です」
「はるかか」
男は、遙の首根っこを掴んで乱暴に自分に引き寄せた。
「名前まで女みたいやな。……お前がそういう風にめそめそなよなよしてると、よけいどうにかしたなるわ。自分で気がつかんか知らんが、それがそそるんやな」
「それなら、どうしろと…」
「ワシの言いなりになって、悪いのはみなワシや、遙は何の罪もない犠牲者や。そう思てたらええがな」
*
命じられたまま遙はTシャツ、ジーンズ、パンツを脱いで全裸になった。
遙がのろのろとベッドの上で服を脱いでいる合間に、男もベッドの横でスーツを脱ぎ始めた。
長身のせいか、上着を着ていると細身に見えていたが、男の身体は肩や胸に無駄のない筋肉の付いた、精悍な肉体をしていた。
広い胸、割れた腹筋、引き締まった尻、張りのある太腿…。
この前の時は、後ろから着衣のまま挑まれたので、初めて見る男の裸体だった。振り向いた男の前の、まだ勃ち上っていないのに確かな容量を持った、逞しい男の徴し。
…
男の身体からぼんやりと視線を上げると、男の眼と合ってしまった。
「はよ四つ這いになれ」
遙を見ながら男が命じた。