紺青の海2
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12
05/12/10
唇を濃厚に貪られて、遙はうっとりした。
羽根枕に深く頭を沈めた感触が心地よかった。
男に唇を許していると、まるで自分が女の子になったような気持がして、それが不快ではなく、かえって身を預けているような安心感を覚えるのだった。
「おまえはエッチよりキスの方が気持良さそうや」
男が顔を上げて呟く。
交情のあと、昂ぶりが収まって、軽い疲労に身を任せている時間が心地よかった。
「ケツはどや。ちょっとは良うなって来たか」
「ん…ん…」
「はっきり言え。気持ちええか」
「良くない…」
「…」
「痛い、痛い痛い」
男が怒って、遙の頬を抓る。
「お前はもうワシのもんや。ええか、覚えとけ」
「ええ…?」
「お前はワシのもんやさかい、ワシの言うことを聞かなあかん」
「……」
頭の回転がまだ戻らないまま、男の話すことを聞く。しばらくして、その意味をいろいろ考え始めた。
「お兄さん…。でも始めからお兄さんは、僕に、無理矢理言うことを聞かせてます…」
「アホか。その代わり、優しィしたってるがな」
「優しい?…イケズするくせに…」
「ワシはやさしないか?」
「ん…。…」
昼間、いろいろあったことを思い出した。
あまりにも色々なことがありすぎて、ぼんやりした頭が、まだすべてを思い出さない。
東寺へ行ったこと、お堂で仏像を見たこと、黒焦げの仏像のなれの果てを見たこと、…そして…。
骨董屋のテントで売っていた不動明王像を買ってもらった。
要らないと言うのに、強引に遙に持たせた。意外と重くて苦労していると、横から男がそれを持ってくれた。
いやがる遙に、無理矢理ストリップを見せようとした。
ストリップから逃げたら、男が謝った。
「…優しかったり、…イケズだったり…」
遙の心を翻弄して、どれが男の本当の気持なのか、本心がどこにあるのか、さっぱり分からない。
それとも計算など無しに、思うままに行動しているのだろうか。
「これからは優しィしたるがな」
男の低い声にうっとりする。
「お兄さん…」
男は遙の肩を抱く。無意識に、遙は男の胸に寄りかかっていた。
「もうイケズしないですか…」
「ええ思いさしたる」
「ん…」
男は、もう一度遙に深い口付けをした。
男が、遙の頭を抱く。遙は自然と、男の背中に手を回した。
「マ、マリアさんは…」
溺れそうになりながら、必死で、その甘く深い海から顔を出そうとした。
「マリアさんはお兄さんの特別の人じゃないんですか…」
「え?」
いきなりの質問に、男の手が止まる。
抱かれる前に男の言ったことが気になっていたのを、遙は思い出したのだった。
「きれいな人なのに…」
「…あいつはただのワシの女や。他の奴とおんなしや」
「お兄さんは、恋人さんはいないんですか」
「おまえは何を聞いてるね」
「…すみません」
「ワシには恋人も嫁もおらん」
「いらっしゃらないんですか…。でも…。欲しくないんですか」
「何が」
「その、恋人とかが。…だ、だって、沢山女の人がいて、でも特定の人がいないなんて…。寂しくないんですか」
「言うたやろ、女は商売道具や。ワシには安みたいな舎弟が事務所にまだようけいてな、そいつらが言うたら家族みたいなもんや。ワシはひょとしたら女より男とつるんでる方が合うてるのかもしれへん」
「安さんの方が、女の人よりも好きなんですか」
「おまえの考えは飛躍しすぎや」
男が遙の身体を離し、両手を自分の頭の後ろに交差して、どさりと枕の上に身体を沈めた。
「安やら、他の奴もそうやけど、あいつらは普通の社会から見たら、はぐれもんや。どこも行き場がないさかい、ワシのとこに来よる。ワシはあいつらの面倒みてやらなあかん。ワシ一人やったら、女に稼がせて食うていける。そやけどあいつらがいるさかいな。なんなと商売せな」
「それで、詐欺とか、するんですか」
「何やて」
「あ…」
「おまえな。お前みたいに頭のええ奴は詐欺言うかもしれへんけどな」
「すみません」
「もともとあれかって、ワシの知り合いの女が中絶手術をしたあと具合が悪なって、結局2度と子供を生めん体になった。医者がええかげんな手術をしたせいや言うて、ワシに泣きついてきよって、それでその医者をゆすったら金出しよった。それからそういうことをやってる医者を強請ることにした。医者は金持ってるさかい、いくらでも出しよるやろ」
「……」
「ワシらはまともな世界では相手にされへん。そやけどワシも、安やらかて、どっかに行き場がないことにはやっていけへん。そやしワシはそういう奴らを引き取って、世話したる。ワシとあいつらは一蓮托生や。ワシのとこに来たら、責任もって面倒見たる。その代わり、裏切りは許されへん。…まあそれは、親っさんの方針やったんやけどな」
「…お兄さんのお父さんですか…」
「アホ、ワシの親父やない。事務所の親父や。まあ、その当時はヤクザやったな」
「当時?」
「親っさんはしょっぴかれよって、今ムショの中や。組も解散した。そやから今はヤクザとちゃうのや」
「昔、ヤクザだったんですか…」
「そや。どうや。恐いやろ」
遙には、現実味がない。
男が、確かに危ない匂いのする男だとは分かっていたし、ヤクザに違いないとも思っていたが、現実にこの横にいる男が、そういう組織と繋がっていたということは、実感として感じ取れないのだ。
「でも…。お兄さんには刺青がないですね…」
「アホ、ヤクザちゃうさかいないわい。…まあ、入れようと思たことはあるけどな。ちょうどつとめと重なってしもたさかい、入れずじまいや」
「小指もありますね」
「おまえ、全然恐がってへんな」
「こ、恐いですぅ…」
「今ごろ言うてもあっかい」
頬っぺたを抓られる。
遙は頬を押えたが、男が手加減したので、さほど痛かったわけではなかった。
「…お兄さんは刑務所に入られたことがあるんですか」
「2へんくらいあるかな。最初は少年院やったか」
淡々と語る男の横顔は、恐くはなかった。
声も恐くなかった。むしろ優しく響いていた。
男が前科者で、刑務所の経験もあるということに、現実感が湧かない。
「高校の時、生徒の一人をケンカで半殺しにした。肋骨を折ってボコボコにしたった。それで院行きや」
「強かったんですね…」
気後れしながら、言葉を選び、言ってみた。
「腕はあったんや。その頃から体も大きいし、態度はでかかったしな」
そうだっただろうと、遙は頷いた。
「そやけど院を出てから親父に出会うて、腕っぷしがいくら強ぅても何にもならん、て言われたな。力いうもんは、使い時を間違うたらあかんいうて。その時にこの親っさんについて行こう、思た」
「……」
「古いタイプの親父でな。おまえ京都のヤクザの勢力知ってるか」
「し、知りません」
「知るわけないな。京都はなあ、全国的な広域暴力団の山建組と、京都に古うからある若松次郎会いうのがニ大勢力や。その若松次郎のずっと下の3次団体くらいに親父の組があった。それが暴対法が出来てから…、まあ要するに府警にワシらの組が目ェつけられて潰されたんや。こんなちっこい組に目ェつけたんは、マルボーが業績をあげたかったからや。…親父はワシらをかぼて一人で掴りよったわ。ワシは親っさんが帰って来るまで事務所を守って、ちゃんと会社にして、それで親父に渡したろ思てな…」
「…そうだったんですか…」
「お前ら真っ当なやつらはワシらをクズや思てるかもしれんけどな、ワシらにはワシらの事情いうもんがあるんや」
「クズなんて、思ってません」
「ほんまか」
「だって…。僕だって…。歴史のほかには、何も知らないし…。世間に疎くて要領も悪いし…。一人前じゃないから…」
「おまえはこれから世の中のこと習うて、いくらでも一人前になれるがな」
「お兄さん…」
「要は、一人前になった時や。一人前になったら人生に勝った気ィになって下の方にいる奴を負け組たらクズたら言う奴が多すぎるちゅうこっちゃ」
「僕はこれからもお兄さんをクズと思いません」
「勝ち組負け組いうのんはヤクザにもあるねど」
「え…」
「資本力のあるとこはどんどん大きなっていきよるけど、中小のヤクザは上に上納もせんならんし負担ばっかり増えてどもならん。けっきょく大きいとこに吸収されるか、危ないドラッグに手ぇ出してサツに嗅ぎつけられて潰されるかや。身動き出来んようになって強盗やら犯罪に走るやつらもおる」
「…」
「どんなにひもじいても、カタギには手ぇ出さん言うのがヤクザやったのにな。賭場で稼げてた頃はよかったちゅう話や。おまえには関係のないことやったな」
「いえ…」
「そやからワシは弱小の組でも、いや、事務所でも、大きい組織に負けへんように効率的に仕事する。効率のええ仕事を選ぶんや。大きいしようとは思わん。組員…いや、事務所のもんが食うていけたらええのんや。その代わり食いはぐれはないようにしたる」
「…」
「遙?…おい、遙。眠いんか。寝たんか」
「ん…ん…」
「下宿に送ったるねぞ。おい、帰らへんのか」
「…」
「…ほな、明日、朝学校まで送ったろ」
「う…ん」
「しゃあないな。もう寝ぇ」
男の胸に抱きつきながら、遙は夢の世界に入っていた。
男の言葉を聞きながら、それがひどく優しい子守唄のようにも聞こえていた。
ここでひとまず、「紺青の海」2部が終ります。
続きはまだ一杯あり、アイデアはあるのですが、手が追いつかないのです(涙)
お兄さんの言葉づかいは、生前の父を思い出し、参考にしています。
「そんなんあっか」とか「どもならん」とか、「ワヤにしよる」とかいう言葉を使ってたなあ。
京都弁ははんなりしている、とヨソの人は思うかもしれないけれど、男の人の言葉使いはわりとイナセなんです。