紺青の海

2 展開
「お前に言うとかんならんことがある」
遙の肘を掴んで部屋に戻し、男がどかりとソファに腰掛けた。
貧相な方の男がこっそりと部屋の鍵をかけた。
「お前、ワシらをヤクザかなんかと思てるのと違うか」
突っ立った遙を睨みながら、男がセブンスターを取り出して火をつける。
「ワシらはヤクザとは違うぞ。ちゃんと会社を経営しとって、ちゃんと仕事をしてるんや。誰もやりとない仕事があるやろ。それをワシらがやったっとるんや。世の中は持ちつ持たれつや。そやろ」
遙には、男が何を言っているのか、はっきりと分かっていない。自分の今の立場、自分がこれからどうなるのか、それだけが気になる。それだけを教えて欲しいのだ。
自分は、人質になったのだろうか。
なぜ、自分なのだろう。
一体なぜ、こんな事態に陥ってしまったのだろう。
始めから考え直すが、どうしても自分が悪かったとは思えない。
自分が悪いわけでもないのに、なぜ自分はこんなにおどおどして、罪人のように、この男の前に身を曝さなければならないのだろうか。
遙は、顔を上に上げられなかった。
男の顔を見るのが恐かったのだ。
しかし男が沈黙したので、そっと盗み見るように上目で男のいる方向を伺った。
男は、相変わらず背の低いソファに股を広げて座り、遙を軽蔑したような目でじろじろと吟味していた。
貧相な男の方は、男の座っているソファの後ろに突っ立ったままだった。
「それとな」
男が煙草を灰皿に押しつけながら、再び口を切った。
「ワシはお前みたいなヤツが一番嫌いなんじゃ」
遙は、心臓が止まるかと思った。
「お前みたいに女の腐ったような恰好をしくさって、髪をちゃらちゃら染めやがって、女と変わらん顔しやがって、そのくせに女の尻ばっかり追っかけよって、女に持てやがって自慢しとるヤツや」
男は勝手に断定した。
確かに髪は茶色にブリーチしているが、昨今のほかの若い男子に比べれば遙などは明らかに地味だ。
着ている服もTシャツにジーンズなのに、どこが女のような恰好なのだろう。言いがかりも大概ではないか。
女に持てたこともないし、ましてやそれを自慢したこともない。第一、男とは今日が初対面で、どうして遙のあれこれをまるで見て来たかのように断定出来るのだろうか。
男の、刺のあるものの言い方に、遙は心が凍てついた。
男は、相変わらず無遠慮な、冷たい視線を遙に注いで、
「お前みたいな女の腐ったような奴はな、男にケツ掘られてオカマにされんのが一番合うてるな」
と言った。
「なあ、安」
「は、はあ」
後ろにいた男がなま返事をした。
安という名前らしい。
「こんな奴が女といちゃつくのは間違いや。世の中間違うてるな。こんな奴に女はいらん。ケツ掘って、女にしたらんとな」
どぎつい言葉を冷静に、淡々と喋った。
多分、相手を罵り慣れているのだろう。
聞き手を震え上がらせ、凹ませ、叩きのめすための言葉の暴力。それを、使い慣れている。
遙は、針の筵に立たされているような気持ちになった。
総毛が立ち、脂汗が出る。
早く、この場から逃れたい。一刻も早く、何とか逃げたい。逃げる方法はないのか。
そのくせ、足は竦んで一歩も動かせない。
「お前、ひょっとして、誰かが今にも助けてくれるやろうとか、思てんのとちゃうか」
男は、遙の心を見透かしたかのようなことを言った。
「誰も来いひんぞ」
「……」
「覚悟せえ。」
遙は、男に犯され、鴨川に死体を浮かべられるのだろうか。涙が出そうになった。
男はソファから立ち上がり、右腕だけで遙を羽交い締めした。
「ええか。覚悟せえよ。ケツ掘ったるさかい」
遙の耳元に口を寄せてそう言った。
煙草の臭いがした。
「かんべんしてください」
男の腕から逃れようと身を捩るようにしながら、遙は涙声で訴えた。
「あかん。もう決めた」
男は冷たく言い放った。
「ワシはな、いざとなったらこんな風にからっきし意気地がないくせに、女相手に威張っとる奴が我慢ならん。そういう奴を思いっきり、メタメタにボロボロにしたるのが趣味なんや」
男は遙の抵抗を片手で簡単に封じ込めた。