紺青の海
05/8/11

1発端
アルバイトの面接のため、遙は中京の事務所になっているビルを訪ねた。
そこは、二部屋続きの普通のマンションのような事務所で、既に2人の遙と同じような大学生が待機していた。遙は履歴書を用意し、面接を待った。
しばらくすると、痩せた貧相な男がダンボール箱を手に奥の部屋から出て来て、箱の中のものを3人の座るテーブルの前に置き始めた。
それは、ケータイ3人分ととコピー刷りの説明書と名簿のようなもの3人分だった。男は、このケータイで名簿に乗っている電話番号に電話してくれと言った。
アルバイトは「電話係、電話での簡単な案内」という触れ込みだった。
大学の掲示板で募集しているバイトよりも、もっと金額が良かったので、地下鉄の構内で無料で配っているバイト情報誌に応募してみようと思ったのだ。
だが、男が、「電話は、この説明書に書いてあるとおりのことを喋ってくれたらいい」と言いながら説明書を配り、その説明書を読んでいるうちに、遙は少しばかりどきりとした。
(これは…)
多分、振り込め詐欺だ。
自分は、振り込め詐欺のバイトをさせられるのではないか。
男が喋っている間、他のバイト候補生を盗み見してみた。すると、それぞれがそわそわしている。みな、これが、詐欺かもしれないと疑っている。
面接に来たはずなのに、いきなり合否も問わずに早速始めてくれというのもおかしい。
だが、ここでいきなりことを荒立ててはまずいのではないか。
それと言うのも、男の態度が怪しいのだ。
怪しいというより、不審だ。
言葉使いが荒い。サラリーマンのようにしゃべっていても身についていない。巻き舌だし、大学生を相手に態度がえらそうだ。
詐欺の集団は、ヤクザであることもある、とどこかで聞いた。
逃げなければ。
と遙は思った。
「お前ら、これ詐欺やと思てるのと違うか」
いきなり男が言った。
遙は座席から飛び上がりそうなほどどきりとした。
見透かされていたのか、と思った。
「これは、本当のことや。名簿に載ってる連中は、悪いことをしたやつらばっかりや。そやからお前らは電話だけしたらええ。それで金をもろたらそれでええやろ。責任はこっちが持つ」
と男は保証した。
「悪いのはこいつらやねんからな。ただ、相手のあることやから秘密厳守や。それだけ守れたら金をやる」
男はそう言って、事務所の奥の部屋を指し、そこに3人を促した。
3人に、相談させる時間も与えない。私語を挟む間もない。
かなり手馴れているのだろう。
さあこっち来、と、男が次々と学生を奥の部屋に入れる。
恐い。
恐いが、いざ逃げようと思っても、足が動かない。
もしいやだと言ったら、男に何かされるかもしれない。
そう思うと、足が竦む。
遙は自分がこんなに臆病だったのかと情けなくなり、涙が出そうになった。
***
奥の部屋には端に事務机と、中央に、先の部屋と同じ低いテーブル、その周りにソファが置いてあった。
いかにも普通のマンションを、急造りで事務所に作り替えたという雰囲気が露わだった。
事務机に、一人の男が座っている。
先に応対した男よりは貫禄があり、上背もあり、頑丈そうだった。
それだけに、底知れない恐怖を、遙は感じた。
(本物かもしれない)
と思ったからだ。
男は眼光が鋭く、3人を睨めつける。
両肘を机について手を組んでいた。
「君らは、この仕事で、ひょっとしたら詐欺の片棒を担がされるのではないかと思っているかもしれんが、それは違う。ウチはちゃんとした会社だし、これは被害者からちゃんと要請を受けてやっている仕事です。心配せんと、ノルマだけ果してください。何かあったら私が責任を持つし、君らに害が及ぶことはない。私が君らを必ず守る」
男は訛りのある発音で静かにそう言ってもう一度3人を睨めつけ、立ち上がった。
もう一人の男がダンボール箱をテーブルの上に置き、二人は部屋を出て行った。
この部屋で、仕事をするらしい。
ここは、奥の部屋だ。
もしかしたら、鍵をかけられたのではないか。
自分たちは監禁され、無理矢理電話をさせられるのではないか。
遙は、部屋の扉に走りより、扉のノブを回してみた。
ノブは回った。
「何だ」
扉を開けると、貧相な男が先の部屋のソファから立ち上がり、遙に向かって来た。
「い、いえ、その、これからすぐに、ですか」
「そうや。いつからするつもりやったんや」
と、男が凄む。
遙は扉を閉めた。
「見張られてる」
他の二人に、遙はそう言った。
ここは奥の部屋だから、先の部屋を通らないと外に出られない。外には二人の男が陣取っている。
「しゃあない。電話しよか」
一人の学生がのんびりと言った。
「そんなこと。…こんなことはしたら駄目だ」
遙は言った。
「そやけど、しょうがない。それにホンマにあいつらの言うとおりかもしれん」
医療ミスで患者を寝たきりにした医者のリストだそうだ。
泣き寝入りになっている患者を助けるためだと男は言ったが、そんな事は嘘に決まっている。
「3人いるんだから…。だから、みんなで行って、やっぱりやめると言おう。お金をもらってからでは遅いよ」
「そうだな。今からだったら間に合う。…それとも、一人外に出て、警察に連絡するのはどうだろう。何とか都合つけて」
別の学生が、遙に同意して言う。
「このケータイで警察に言おうか」
「ここに警察を呼んだら、僕らまで疑われてしまう」
「ちゃんと訳を言ったら分かってもらえるよ」
その時、部屋の扉が開き、鋭い目の男が入って来た。
3人は飛び上がりそうになった。
「もしどうしてもこの仕事が出来ないのなら、無理は言わん。帰ってもいいぞ」
相変わらず鋭い眼光で3人を睨みながら男が言う。
3人の会話は聞かれていたのだろうか。疑念がもたげて来る。
「ただし他言無用や。分かったか?」
3人は、はいと約束した。
ぞろぞろと部屋を出て行きながら、それぞれ胸を撫で下ろした。
「ええか、お前らの個人情報は貰てるんや。喋らんといた方がええぞ」
がらりと口調を変えて、男が凄んだ。
3人は恐怖に震えた。
貧相な男の方が、先の部屋の扉を開け、3人を順番に部屋の外に出した。
最後に遙が出て行こうとした時、
「お前はちょっと待て」
鋭い眼光の男が呼び止めた。
先に廊下へ出ていた二人が、ぎょっとして振返った。
「お前には用事がある。他の二人は帰ってええ」
男はそう言って、遙の肘を掴んで部屋に戻した。
「お前ら」
と、男が廊下にいる二人に向かって言った。二人は棒立ちになっている。
「他言無用やぞ。こいつのためにも、忘れんときや」
男は遙の肘を掴んだまま、乱暴に二人に示した。
「もしかして、鴨川にこいつが浮かんでたりしたら、お前らのせいやど」
二人は、青ざめながら、同意した。