煙草がまた高くなった。

ビールがまた高くなった。

あぁ、クソ。

そうやってまた、俺らを苦しめるんだな コノヤロウ。




"マールボロ"




時計を見ると、あと数分。
まだチャイムは鳴らないなと見て、息を吸う。
「も一本頂戴」
そう言って手を差し伸べると、口の開いた赤い箱がこちらに向けられていた。
マルボロはあんま好きじゃないんだけどなと言いつつ、受け取った。
「つべこべ言うなら吸うんじゃねぇよ」
差し出す手は素っ気無く返す。
俺が好きなのはラッキーだと何度言っても無駄なんだろうな。
ラッキーいいじゃん。空き箱はダーツに使えなくもないじゃん。
でもまぁ、貰い煙草で生きてる身としてはそんな贅沢も言えないわな。
「お前なんでマルボロなの」
問いつつ、貰った一本に火をつける。
隣の男は洗面台に灰を落としながら煙を吐いた。
「マールボロ」
「あ?」
「マルボロじゃねぇ。マールボロ」
言いながら男が投げて寄越すのは赤い空箱。
箱には小さな文字で『マールボロ』と書いてある。
その横には、『健康を損ないます』の一文をぐでんぐでんに長くした、
形ばかりの注意書きが書いてあった。
俺があぁ、と頷くと同時に、チャイムが鳴った。
「次は現文だったっけな…」
まずいな、俺日数ヤバイんだよ。
貰ったばかりの煙草を便器に捨て、排水にかける。
お前は、と隣を見やると、動く気配もなく、流されていった一本を見ていた。
「…もうお前にはやらねぇ」
言いながら、隣の男は無駄になった30円分のヤニを恨めしそうに見送る。
「悪ぃ…でも俺いかねぇと」
「行くのか」
「現文マジやばいんだよ」
一学期に遊びすぎた。今はそれがものすごく後悔の種だ。
俺だって煙草はもったいない事したなと思ってるさ。
「だから、ゴメ」
「いいだろ」
まだ俺が言い終わらぬうち、マルボロの煙が言葉を遮った。
洗面台に腰掛けた奴が、いつのまに空けた新品の赤い箱を向けている。
合わせない視線の変わりに、一本飛び出た煙草が、俺の足を止めていた。
『次もさぼっちまえ』、と。
「…っ仕方ねぇなぁ」
ヤニには勝てません。そう感じた一瞬だった。

廊下のざわつきが聞こえなくなって、いよいよどの教室も授業が始まったのだと思う。
俺と奴はと言うと、互いに何も話すこともなく、沈黙のトイレに煙を漂わせていた。
ラッキーが吸いたいな、とぼんやりした頭で考える。
煙草に増税が掛かった二ヶ月前、俺は愛柄ラッキーストライクを手放した。
受験のストレスから(プラス、年相応の興味として)父親の煙草を拝借したのに始まった
俺とラッキーの付き合い。
小遣いの中でやりくりするにはあがりすぎてしまった『交際費』に、
俺はあっさりラッキーを見限って禁煙を試みる。
が、その決意は三日も持たないうちに消え去ってしまって、
かといって懐にラッキーを連れ戻す余裕もなく、
ラッキーのいなくなった(口)寂しさを泣く泣く他所の子(貰い煙草)で癒すのが精一杯だった。
大体俺の相手をしてくれるのは、このマルボロだったのだが、
やっぱりふと、ラッキーが恋しくなったりするわけだ。

『なんで俺とラッキーを引き離すような真似を!』

そう思って、じたばたと文句を言い続けた記憶がある。
が、その時にも俺の相手をしたのはマルボロであり、今隣に立つコイツだった。

『仕方ねぇんじゃん』
『煙草を吸ってるのは俺らなんだし、吸う自分に責任がある』
『喫煙者としての義務。そう思え』

納税は国民の義務であるし、と小難しいことを付け足したコイツがマルボロを手放さなかったのは、
単に俺より裕福で、俺より重度のヤニ中だからだと、思う。
そう。
この男は、いっそ羨ましさも沸かないほどに恵まれているのだ。
頭脳も身長も家庭も金も人並み以上のものを持っていて、
ちゃっかり彼女までいたりする。(それがまた巨乳のいい子ちゃんだったりして)
むかつくほどに恵まれていながら、それでも本人は至ってドライな性格であるのが、
コイツがコイツである所以と、俺は思う。
もしコイツが煙草の一本もくれない奴だったら、俺はここで

「先生!コイツこんな所で煙草吸ってます!」

なんて声を張り上げてるね。
でもまぁ、そんな事になってないのは、一重にコイツが『煙草をくれるイイ奴』だから。
…なんだろうな。
「あぁ、クソ」
ラッキーが吸いたいと思った。
マルボロはコイツのもの。俺にはラッキーというハニーがベストパートナーだ。
コイツと同じマルボロを吸ってるということが、俺の何もなさを悟らせる。
沈黙が続く以上、きっと俺はずっとそんな事を考えて勝手に惨めになるんだろう。
なんで黙ってんだよ。
呼び止めたのはお前じゃないの。
なんか喋れコノヤロウ。
煙草につられた俺も悪いけど。
あぁクソ、煙草が増税なんてしなけりゃ、良かったのに。
「俺、やっぱいくわ」
水道管にかけていた腰を上げる。
男は一瞬目線を寄越したが、すぐに自身の口許に燻るマールボロにそれを戻した。
なんだよ、引止めナシかい。
俺はこんな事で単位は落としたくないのが本音だ。
煙草ごときで受験失敗なんてなったらダサさ極まりないじゃないか。
明確な返事も受けないまま、俺は吸殻を便器に投げ入れた。
そして流水レバーにかけた足に体重をかけたその時、
「  だ よ」
流れる水の向こうで、ヤツの声がした。
そちらを見ると、さっきと同じように自分の口許を見るような俯き顔でいる。
なに、と俺が問い返すと、ヤツは目線も上げずに繰り返した。

「デキたんだと。アイツ」

…まるで、呼吸するように自然で、抑揚のない声だった。
「…デキた、って」
俺もその言葉を繰り返す。
デキたというのは。アイツというのは。
それは、文字通りで、コイツが表してる以上に大変な、事実な。
「… …マジで?」
「一昨日…夜中に呼び出された」
ヤツは相変わらず俯いたままだった。
俺はそこで何て声をかければいいのかわからなかった。
だって俺らはまだガキで、ちょっと煙草とか吸っちゃうけど、酒も飲んじゃったりするけど、
(年齢的にはもう結婚もOKだけど)でもそれは大人に憧れていただけのことで、
…決して、『大人』になった訳じゃない。
「めっちゃ泣いてた」
そう言う男は、アンバランスにぶら下がってた灰を洗面台に振り落とし、
煙草を絡めた指を目元に当てて天井を仰いだ。
恐る恐る俺が吐き出せたのは、「どうすんの」という月並みな質問だった。
答えは、残酷な結果だろうけど、おおよそ予想していた。
コイツだって大学はイイとこ狙ってる。職業だって確かすげぇの目指してる。
まるでドラマやマンガの中みたいに、堕ろす堕ろさないの会話がなされたんだろうな。
彼女はきっとものすげぇ泣いちゃって、平手打ちとか罵りとかすごかったんじゃないかな。
他人事のように張り巡らせる俺の陳腐な予想。
ふと、ヤツが顔を上げた。
俺の頭の中を見透かしたように笑って、口を開いた。
「そういうことで俺、学校やめっから」
「… … は!?」
──その時俺は、すごく、ホントにものすごく、キテレツな顔をしたと思う。
「働こうと思う。アイツんち挨拶にいって、
ちゃんとした形で子供を迎えられるように準備すんだ」
「まっ…え、お前、本気か」
淡々と吐かれるヤツの台詞に頭がついていかない、というのがまさしく俺の状況だった。
「産ませるんだ?」
「アイツが産みたいっていうからよ」
「結婚すんだ?」
「アイツの為にも子供の為にもそれが理想だろ」
「学校辞めて働くって…」
「学校来てる暇なんかねぇべー」
くくく、と肩を揺らして笑うあいつのマールボロは、少しずつ灰を散らせて行く。
「責任があるからな」
男は屈託のない表情で笑う。
俺は、そう言ったヤツの顔に、いつかのコイツが重なったのを見た。

簡単に言えることじゃなかったと思う。
簡単に決断出来ることじゃなかったと思う。
でも、コイツはそんな決断をしてしまったのだ。

「…すげぇな」

俺には出来ないよ。
ニコチン供給に甘んじてるだけで、手に負えなくなったら吐き捨てる俺には。
更にそれが捨てきれなくて、他人にすがろうとしている俺には。

「馬鹿じゃねぇの」

同じ煙草を吸っていたとしても。

…コイツには、勝てない な。

「──頑張れよ」
「ん。サンキュ」
じゅ、と洗面台に煙草を押し付け、男は深呼吸する。
背筋を伸ばすように手を天に向けているヤツに、俺は今までコイツに感じなかった、
『たくましさ』に似た感覚を持った。
「そうだ」
「ン?」
「コレやるよ」
そう言ったヤツが投げ寄越したのは、さっき開けたばっかのマルボロ箱。
男は出口に立ち、振り返る。
「妊婦に毒だっつーからよ。禁煙だ」
じゃな、と笑って見せ、背中を向けた。
ヤツはそのまま振り返らずに、去っていった。

残された俺は。
ケースを開け、まだかなり残っている煙草の中に埋まっている安モンのライターに手をかけた。
オイルはまだ残っていた。
横を見れば、小さな文字で『マールボロ』の文字。
考えてみればアイツ、煙草の名前ひとつにさえ真剣に向かい合っていたんだな。
馬鹿みたいだ。
苦しい選択しやがって。
「あぁ、クソ」
でも、それが『責任』なんだろうな。
煙草も酒もセックスも、気持ちいいからには、どこかで苦しむ『義務』があるんだろうな。
あの男はきっと、それを知っていた。
「…クソ」
マールボロを一本銜える。
火を点けて、煙を思いっきり吸う。
やっぱり、ラッキーの方が俺は好きだ。
「コノヤロウが」
このマールボロが吸い終わったら、ラッキーを買おう。
自分の金で買って、心行くまで吸ってやろう。
誰のでもない、俺の、為に。






次の日、アイツは昼頃顔を出した。
それ以来、アイツの顔は見ていない。
ただ、どこそこで売ってるマールボロを見る度に、
ちょっとだけアイツのことを思い出す。

あぁ、クソ。
禁煙に失敗してろアノヤロウ。


END

******

高校のトイレというのは、喫煙所であり密談の場であり
非常に面白い場ですよね。
つかこんな覚悟の出来た高校生なんてイヤです。(本音)

タバコにこんな哲学持ってる人なんていないよ、とか
ツッコミがありますが、
タバコの吸い方一つで結構人柄出るのも事実です。
人間観察人間観察。

タバコを吸わないのにやたら詳しくなってしまったあたり、
コンビニバイトの経験はダテじゃないですぜ。

喫煙は20歳になってから。

06.2.3
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