ひと は しんだら



おそら に いくんだってよ















 空  色















「もし私が死んだとして」
彼女は空を見上げて言った。
その時の空は深い紺色で、小さな星を散りばめていた。
二人で呑んだ帰り道。
立橋の真ん中で。
「星にはなれなくても、空の一部にはなれるよね」
女は両手を空にかざした。
死ぬ時のことを思うなんて馬鹿げていると普段から言っている彼女だったから、
その物言いは滑稽で、仕草は幼稚に見えた。
酔っているのだと、思っていた。
足元を走る車の群れが、やたら静かだと感じた。
「私が先に死んだら、いつかアンタも同じトコに来てよね」
空にいるわ。間違っても地獄に行かないように。
笑いながら付け足した彼女に、地図を置いていってくれないかと答えたら、
「風に聞いて」
と、更に口端をあげた。

酔っているのだと、思い込んでいた。
上機嫌によく喋る口調が当たり前すぎて、気付いてやれなかった。
もしかしたら、あの時彼女はもう、
決めていたのかもしれないのに。





*・*・*





──血を流しすぎた。

背中に床の堅さを感じながら、男は思考を巡らせる。
鼻孔は鉄の匂いで満たされていた。
喉の奥から、脳天から、四肢から、全身から。
身体の至る所から鼓動を刻んで滲み出る赤に、男の衣類は滴る程濡れている。
体中が心臓のように脈打ち、鼓膜をつんざくように支配する。

……死ぬんだろうな。

男は、意識が意外と冷静なことに驚き、自嘲の舌打ちをした。
うまく舌打ちが出来たかはもうどうでもよかった。
小さなビルの一室。20畳ほどの広さのこの部屋には、男以外に人間はいなかった。
周りに広がる赤く浅い海、そこにはいくつかの『元人間』が伏せている。
部屋の最奥には、額に小さな穴をあけた肉塊が、
皮張りの上等な椅子にもたれかかっている。
呼吸をしている頃は恰幅の良い人間だっただろうその初老の遺体は、
かつて男の名を軽々しく口にしていた人物だった。
その人物が数分前までくゆらせていた葉巻の紫煙に、窓からの日差しがかかる。
男は重たい身体を動かしてそれを目で追う。
窓には、青空が広がっていた。





*・*・*





「これ、ヒデにあげる」
彼女の声と共に、手首に冷たい感触が走る。
寝呆け眼でそれを見ると、緑がかった水色の石が2、3ついた銀細工のバングルだった。
「その石。人からもらうと、お守りになるんだって」
彼女がこの石のアクセサリを好んで買っていたのは知っていた。
空の色に似ているからという事も。
でも贈られたのは初めての事で、柄にもなく戸惑った。
「アンタ命知らずだから。それにホラ」
彼女が見せた自らの手首には同じ細工のバングル。
おそらく男のそれとは幾らか小さく細い。
けれど。
「私とお揃いのしてたら、なんだか未練で死にきれないでしょ」
へへ、と悪戯のように笑い、彼女がバングルを揺らした。
しかし自分はこういったアクセサリに縁はなく、
気の毒に思いながら断った。
「誕生日でもねぇし、いらねぇよ」
言うと、女は一度表情を強ばらせ、眉を下げる。
泣くのかと思った。
それともいつものように怒って拗ねるのかとも。
しかし答えはどちらでもなく、
彼女は淋しそうな表情で、男の手を握って呟くだけだった。
「持っててよ、私とお揃いの」
呟いたのち、手に力がこもるのを感じた。
男は何も言えず、女と過ごす時間が終わるまで
そのバングルを外さないでいた。
それからそのバングルは、部屋の片隅に紛れたままで。





*・*・*





男がこの部屋に来て、数十分は過ぎただろうか。
手にした銃はすでに弾薬も切れ、役目もないまま男の指に絡まっていた。
硝煙と血の匂いに塗れたこの部屋で、この数十分の間、幾つもの命が火を消した。
いずれも、男に刻まれた傷と引き替えに失われたもの。
喚きながら、うろたえながら、刄と銃弾を男に向け、
その応報のように放たれた男の憎悪の塊に、死んでいったもの──。
「…っは…」
乱れた呼吸の中。
「はは…は…ッ…」
男は、乾いた笑顔で笑う。
『復讐』という、粘質で凶々しい感情を手放した瞬間だった。

かつて男が見ていた夢を、笑いながら踏み躙った者達。
俗に言う『裏社会の住人』であった者達は、
卑しく他人の人生を食い荒らすハイエナのような生き物だった。
夢を食われ、ハイエナの下僕になってすがりついた男は、
金欲しさに黒い世界へと手を染めていき、
汚れた勲章を携えるようにまでなる。
全ては金の為だった。
いつか、その金で彼女を幸せにする。
小さなその夢だけは必ず守る。
男はひたすら、闇の中で命を張った。

──その、結果が、この、ザマだ。

感覚が無くなりつつある身体を壁に起こす。
部屋を見回すと、薄暗い室内の中に散らばるハイエナの亡骸。
男は、掌に貼り付いた銃を振りかざした時の、
ハイエナ達の表情を脳裏に浮かべた。
彼らの終焉にあった醜い叫びが蘇り、男が目を細める。
その時、チャラ、と小さな金音がした。
手首に飾ったバングルの音だと、男は気づく。





*・*・*





バングルを見つけたのは、自分さえ耐えればという考えがどこまで甘く無知だったかを、
彼女の喪失という事実で悟った頃だった。
女は、男が早く暗闇から抜け出して生きられるようにと身を削って働き詰め、
文字通りハイエナに食われ、玩具同然に扱われていた事実を、
男に知らせぬまま、逝ってしまった。
ハイエナ達から享楽で打たれた薬物に苦しみ、貞操の崩壊に苛み、
自我をなくす前に、男を想う言葉を残して、逝ってしまった。
どこまでも貪欲に他人を貪り続けるハイエナの、
その毒牙が知らぬ間に彼女に伸びていたことに、男はひたすら泣き続ける。
「お前に関わったせいだ」と彼女の遺族に罵られ、別れも言えぬままに埋葬され、
何も出来ない自分を悔やむ日々。
男は女の後を追おうとも思った。
その頃、バングルを見つけた。
忘れ去られていたバングルは、
まるで「まだ生きろ」という彼女の主張のように、
部屋の片隅にうずくまった荷物の奥から転がり出てきたのである。
もらった時に付けて以来、奥に仕舞い込んでいたそのバングルは、
埃被って輝きを失せていた。
彼女のあのバングルはどこにいったのだろうか。
空色をしたあのアクセサリは、今どこへ。
思いながら、男はそれをまた身につけるようにした。
世界のどこにもいない彼女に少しだけ近付けた気がし、
身に付けていることで心身的な整理がついたような気がした。
今、死ぬのは、意味がない。
幸せにしてやれなかった彼女への弔い。そして自分への戒め。
それから、
復讐の決意として、バングルを、握りしめた。





*・*・*





男はビルを這い出て、すぐ側の裏路地に腰を下ろす。
足跡のように落としてきた血も構わず、最後の力で辿り着いたこのビルの隙間。
見上げると、狭いながらも、空があった。
ハイエナ達に返り打たれた傷は今だ血を吐き続ける。
そろそろ止まれよ。
まだ冷静に働く意識が呟いた。
もう耳を突く鼓動も弱まり、視界も霞みを帯びてくる。
呼吸も、自分で聞き取れない程になってきている。
触覚も嗅覚も閉じている中、掌を見た。
赤く染まった手が、意識と関係なく震えていた。
経験したことはないけれど、理解する。
これが死の気配だと。
男は不思議と恐怖を感じずそれを受け止め、
両手を、狭い空に向けた。
いつか同じようにやっていた、彼女の姿を思い出す。


星にはなれなくても、空の一部にはなれるよね


あの時は紺碧だった空。
今は、彼女が好きだと言っていた石に似た色の空。
彼女は、空になれたのだろうか。
このまま空を抱き締める事が出来たなら、
彼女を抱き締めるような温もりが、あるのだろうか。
手首で振動を伝える、彼女と揃いのバングルが、鈍い光を照り返していた。
ビル風が頬を撫でる。
男はふと、彼女のあのバングルが、
誰かの手に渡って、大事にされていること願う。
女が好きだといったこの空の色。
これを瞼に焼きつけて逝けたら、
自分は、それでいいから。

男は一筋涙をこぼし、女の顔を想い描く。
愛していた女の、自分の夢をひたすら支えてくれた女の、
優しい指先に似た風を受けて。
呼吸が、脈拍が、止まっても、なお。
祈りながら、男は、女の、名前を、呼ぶ。




「    」




──俺も、空の一部になれるだろうか。


END
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訳わかんない話。
要するに、ヤクザに関わっちまった男が彼女の復讐として皆殺しをした、という話ですよ。
文章力なくてゴメンなさいですよ。

このお話は、数年前に思い付いて一晩で書いたものです。
当時はファンタジーな設定だったんですけど、現代風にリメイク。
結果なんだかドス黒い内容になってしまってしまいました(泣)
一発目にこんな内容どうだろう…。
「空色」というキーワードが使いたかったんです…。
ちなみに「彼女」の名前は特に設定していないので空白です。
反転しても何も出ませんよ−(笑)
読んで下さりありがとうございましたー。

05.5.3
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