ヴィレッジ


THE VILLAGE
04年 アメリカ映画 108分

その<地上の楽園>は、奇妙な<掟>に縛られていた・・・。
――何故?

監督・脚本・製作:M・ナイト・シャマラン
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演:ブライス・ダラス・ハワード(アイヴィー・ウォーカー)
    ホアキン・フェニックス(ルシアス・ハント)
    ウィリアム・ハート(エドワード・ウォーカー)
    エイドリアン・ブロディ(ノア・パーシー)
    シガニー・ウィーバー(アリス・ハント)
    ジュディ・グリアー(キティ・ウォーカー)
    ブレンダン・グリーソン(オーガスト・ニコルソン)
    マイケル・ピット(フィントン・コイン)
    チェリー・ジョーンズ(クラック夫人)




<あらすじ>
19世紀後半。ペンシルヴァニア州のとある森林の奥深くに、外の世界から完全に隔絶された村があった。そして、その村には、ある<掟>が伝わっていた。
それは「森に入ってはならない」「不吉な赤い色を封印せよ」「警告の鐘に注意せよ」というもので、森に住む謎の生き物から村の生活を守る為の掟であった。

長年、平和の続いてきたこの村だが、何者かに家畜が殺されたり、「森を抜けて町に出たい」という若者が現れたりと小さな事件が頻発。そしてついに、この、平和の地であり地上の楽園である村に、起こってはいけないはずの、重大な事件が起こってしまった。
村の指導者的立場のウォーカーの娘、アイヴィーは、その事件で瀕死の重症を負ってしまった婚約者を救う為、町に薬を求めに森を抜ける決心をするのだった。



<見た後の個人的感想>
家 シャマラン監督待望の最新作は、これまでの一連の監督作とはちょっと趣の違う、時代物の映画でした。さらに、ブルース・ウィリスやメル・ギブソンのような派手なスター俳優も出てなく、ストーリーもあまり入り組んでない、ストレートな感じのもので、何だか新鮮風味な映画でした。
基本的には、これまで同様、スリラー映画ですが、今回、サスペンスやスリラーよりも、登場人物のドラマ面がより全面に出て来てましたね。劇中に散りばめられた数々の伏線や、衝撃のラストなどの「どんでん返し系映画」の面白さとか、謎解きの面白さというのはほとんど無いと言ってもいいぐらいのものでした。
もちろん、今回も終盤、驚きの展開を見せる事は見せるんですが、「ストーリーの流れとして、そういう展開が出て来た」という感じで、衝撃度はほとんど無かったです。
でも、一応、これまでのシャマラン映画もラストのオチが全てという映画ではなく、そこに至るまでのドラマが重要であり、途中のストーリーやテーマこそが、監督の語りたい(観客に見せたい)ものだったと思うんです。
そして今回、その「どんでん返し」の要素を、意識的に薄めて演出したような感じがしましたね。もう、いい加減、ラストのオチばっかり考えてないで、ちゃんとストーリーやテーマを見てくれと思っているのかもしれません。

監督自ら、「これは愛の映画だ」みたいな事を言ってるように、“愛情”というものを描いた映画となっています。ですが、それにより「恋愛映画」になってるというわけではありません。ジャンル的にはちゃんとスリラー映画のままです。
映画の舞台設定である、深い森に囲まれ、外の世界から隔絶された狭い村。そして、そこに伝わる奇妙な言い伝え。いったい、森の中には何が潜んでいるのか?という謎。
これらを大前提とし、そして下敷きとして、主要登場人物達のドラマが語られていく事となります。
その特異な舞台のせいか、映画全体から、何とも不思議で神秘的な雰囲気が感じられましたね。「大人向けの童話」といった感じのストーリーです。
娘 そして今回、このストーリーを大いに盛り上げる役目を果たしているのは、監督のシャマランではなく、むしろ、主演のブライス・ダラス・ハワードの方でしたね。あの、『アポロ13』等で知られる映画監督、ロン・ハワードの娘で、これが映画初主演となります(舞台の方ではそこそこ有名だったようですが)。
これがまた、キャラクターの魅力と演じる本人の魅力と相俟って、近年稀に見るような、素晴らしいヒロインとなっていましたね(個人的にですが・笑)。今回、派手なスターが主演してない事で寂しさと物足りなさを感じてたんですが、映画も中盤に差しかかる頃には、すでにスターが出てない点なんてまるっきり気にならなくなってましたからね。なぜなら、ここにフレッシュな新人スターの誕生した瞬間を目にしているからです。
シャマランが、この映画の主演女優を探すに当たり、「観客が初めて出会って、即、恋に落ちるような、そんな体験が出来る女優」を探していたそうですね。いや、もうまさに狙い通りのキャスティングです。私なんて、映画をまだ見終わってない段階で、すでにファンレターを書き始めてましたからね(←誇張し過ぎ・笑)。

キャストでは、他にはエイドリアン・ブロディがいい味出してましたね。テンションの高さといい、ストーリーにも大きく関わってる重要度といい、まさに大活躍でした。
その代わり、『サイン』に続くシャマラン映画連続出演のホアキン・フェニックスは、今回はかなりおとなしめでしたね。

あと、音楽はシャマラン映画でお馴染みのジェームズ・ニュートン・ハワードですが、この人はほんと、このシャマランワールドを見事に音楽で表現してますよね。シャマランがずっとこの人を起用し続けるのも当然だなと思ってしまいます。お互い、感性が近いものを持ってるんでしょうかね。



<プログラム情報>
・定価600円。34ページ。プログラムサイズ“ほぼ普通”
・イントロダクション2ページ
・ストーリー2ページ
・これから「ヴィレッジ」を見るアナタへ、この7つのWhyに注目せよ!
・シャマランのプロフィール、来日会見レポート1ページ
・シャマランのインタビュー1ページ
・ホアキン・フェニックス、エイドリアン・ブロディ、シガニー・ウィーバー、ウィリアム・ハートのインタビュー各1ページ
・ブライス・ダラス・ハワードのインタビュー1ページ半
・映画のレビュー2種類、各2ページ
・プロダクションノート4ページ


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(下の方にネタバレ有りの感想があります)
















椅子 今回、サプライズが2回出て来ましたね。まずは、森の怪物が、実は正体は村人の自作自演だったという事。もう一つは、映画の舞台設定が19世紀後半ではなく、現代だったという事。
ですが、この2点。どちらも、この映画の前提となる設定から充分予測出来る事ですよね。現に、私は第一のサプライズは映画を見る前に予想してましたし、第二の方は映画を見てる途中で予測出来ました。
でも、それで「シャマランに勝ったか?」と言うと、決してそういうわけではないんですよね。何しろ、今回は謎解きの映画ではないですから。映画の中でネタばらしをする時も、普通に、さらっと流してましたからね。上で書いたように、このサプライズは、映画のテーマにとって、さして重要ではないんですよね(映画を“楽しむ”うえでは重要な点ですが)。

実は、この辺の「どんでん返し」的なところよりも、中盤の、ルシアスがノアに刺される場面が一番驚きましたね。
しかもこのシーン、普通なら、ナイフをシャキッン!と出して、ブスッ!と刺して「ぐえっ!」となるような感じの演出になると思うんですが(それじゃ火曜サスペンスか・笑)、ナイフを出す瞬間も映さなければ、刺した瞬間も映さないし、効果音も全く無しという演出になってるんですよね。
これにより、本来なら痛々しい、暴力的なはずの場面なのに、むしろ物悲しさの方が強く感じられましたね。
そんな、こちらの予想外の展開をこんな演出で見せてきたものだから、このシーンを最初に見た時は驚く、というより、胸にズシっとくるような衝撃がありました。
それに、ここからストーリーは急展開を見せるという、この映画全体でもかなり重要なポイントとなるシーンです。

この後、アイヴィーが愛するルシアスを救う為に、危険な森を抜けて、町まで薬を取りに行く、という展開となります。
この森を抜けるシーンは、なぜか『ロード・オブ・ザ・リング』での、フロドの姿を思い出してしまいました。「肉体的には弱いものの、精神的には強い人が、孤独で危険な旅をする」という辺りからそう思ったんでしょうか。
フロドと違うのは、アイヴィーにはサムのような心強いお供がいない所ですね。当初は2人もお供がいたのに、どちらもビビッて早々に逃げ帰ってしまいましたし(笑)。まあでも、その気持ちも分からないではないですけどね。それに、ここで一般の若者が逃げ出さないようでは、年長者達の脅し方が足りないという事になりますからね。

結局、森に化け物はいないという秘密を教えられているとはいえ、盲目の人が森を一人で進むのは大変でしょうし、怪物がいない事は分かっているつもりでも、これまで散々恐れて来た場所を独りで歩いているというのは、とっても心細い事だろうと思います。
普通に考えたら、アイヴィーに行かせなくても、父親のエドワードが行けば簡単に済む事だと思いますよね。森の外は19世紀ではないという事も知っていますし、外の人間に出会った時も、村の事を知られないようにうまく対処する事も出来るでしょう。
それを敢えてアイヴィーに行かせたのは、森の安全性に自信があるのと(きっとコヨーテなんかもいないんでしょうね)、アイヴィーには、自分や祖父のような、「人を導く立場」に立ってもらいたいから、という願いがあったんでしょうね。その為の試練みたいなものなんでしょう。
それに、目が見えないのなら、外の世界の様子が、村とあまりに違うという点にも気が付かないでしょうからね(でも、車に跳ねられる危険はあったと思うんですが、その心配についてエドワードはどう考えたんだろうか)。

森を抜ける途中、穴に落ちかけるというアクシデントがありましたが、きっとこれはエドワードも想定外だったんでしょうね。まあ、ここは見てる観客も想定外、と言うか、驚かされたシーンでしたね。穴の開く音がまたデカくって、前の方の席で驚いて飛び上がってる人がいましたからね(笑)。

その後、クリーチャーの扮装をしたノアが現れてアイヴィーを攻撃しだすんですが、これは、先ほど叩かれた事に対する復讐なんでしょうかね。
この、ノアという人物、要するに知恵遅れというキャラでしたが、そういう人が「殺人行為」をしたり、「実は陰で家畜を殺していた」という事実が出て来たりというのは、かなり冒険した設定だな、とか思いますね。抗議をしてくる団体とか、バックにいっぱいいそうなんですが、大丈夫だったんでしょうか。
一見すると、“子供っぽい性格”ですし、陰で家畜を殺していた残酷性も、その性格故の“無邪気な残酷性”という事なのかもしれないです。
でも、密かに思いを寄せていたアイヴィーをとられたという嫉妬心から、その相手を刺すという発想が出てくる辺り、結構歪んだ性格のような気もしますね。
アイヴィーを化け物の扮装で襲ったのも、ただ驚かすだけのいたずら目的だったのか、マジで殺すつもりだったのか、判別出来ませんね。
でも、行動だけみると狂ったサイコ犯ですが、エイドリアン・ブロディの演技を見ると、そんなに悪い、歪んだ人間には見えないんですよね。そのおかげで、「ノアとはこういう人物だ」と一言で言い表せられないような深みがありましたねぇ。

ところで、アイヴィーは、目が見えない代わりに、人を色で認識する能力があるようですが、これは、「誰に対しても」というわけではないみたいですね。
いわゆる、超能力とはまた違うもののようなので、例えば、年長者の誰かが怪物の扮装をして現れてみんなを驚かしている際に、色でもってその怪物の正体が分かってしまう、という事は出来ないんでしょう。
また、ノアと隠れんぼをしている際、押し入れに隠れていたノアの存在を、押し入れを開けたのに気づかなかったというシーンがあったように、ノアを色で識別する事は出来ないみたいです。それで、後に森で襲われた際も、その正体が分からなかったわけですね。
また、この時点でアイヴィーは「怪物なんていない」という話を聞かされていたわけなので、「誰かが怪物の格好をしているだけ」というのが分かるはずなんですが、本物の怪物に襲われているかのような態度をとっていましたよね。
これは何故なんだ?と思ったんですが、実はエドワードは、「怪物はいない」と言っていたわけではなく、「森の怪物の話は昔から伝わっていた」というような事を言っていたんですよね。
村の掟はヤラセだったものの、森の怪物の話は、年長者がゼロから作り出したものではなく、参考にしたものがいる。と言う事は、森には本当に怪物がいるのかもしれない。
というのがアイヴィーに入ってる情報だったので、多分、あの時は「本物の怪物に襲われてる!」と思っていたんでしょうね。
年長者達は、穴に落ちて死んだノアを、森の怪物に殺されたという事にして、村人にさらに恐怖を植え付けて、もう森に入ろうなんて言い出す奴が出ないようにしようと企むわけですが、怪物の正体を聞かされ、森を抜けて帰って来たアイヴィーも、「自分は本物の怪物に襲われた」と思っているわけなので、この、ノアの死因に関する年長者達のウソも信じる事になるんでしょうね。もしかしたら、アイヴィーがノアの仇を討ったという話に発展していくのかもしれません。
まあともかく、今後も村の秘密は守られていく、という事ですね。

本来は地上の楽園であるはずのこアの村なんですが、結局、そこでも痛ましい事件が起こってしまったんですよね。誰かが「悲しみから逃れる事は出来ない」と言ってましたが、結局、この事件に蓋をする形で、村を存続させる事となりました。
年長者達みたいに、事実を知っていてここに止まってるのは自分の意志だからいいですけど、何も知らされてない人達にとっては、果たして幸せなのかどうか分からないですよね。
でも、自分の子供に対して、犯罪や事故に常に巻き込まれる危険性のある現代で生活させるより、そういう危険の無い村に住まわせていた方が安心だという年長者達の考えも分からないではないですけどね。


ところで。この映画の村の設定、と言うか、第一世代の年長者達と第二世代の若者達との関係というのは、『マトリックス』における、機械と人間の関係に似ているような気もしますね。
『ヴィレッジ』において、第二世代の人達は、本当の世界を知らず、真実を隠されて生きているわけです。それも、第一世代が作り出した世界の中で、です。
『マトリックス』では、機械が作り出した世界(マトリックス)の中で、人間達が、真実を隠され、本当の世界を知らずに生きているわけです。

年長者の方々にはそんなつもりは無いんでしょうが、結局、やってる事は人間を支配しているマシーン軍団と同じような事だというのは、何だか皮肉な話ですねぇ。



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